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ブックマーク / note.com/daitamesue (25)

  • 活動的であることで忘れようとしているもの|DaiTamesue為末大

    若い時は社会的にアクティブだった人間に久しぶりに会うと、になっていたり活力が失われていて別人のようになっているということがあります。以前はそういう方と話をして「どうして活動的ではなくなったのか」と考えていたのですが、今は「活動的にならざるを得なかったのはなぜか」と考えるようになりました。 活動的である時は意識も活動も外に向かっています。外の問題を解決し、外での成功を考えています。外に向かって一生懸命になっている時は、意識が内に向かわないで済みます。失恋の苦しみから逃れたいと忙しくする人とよく似ています。その人が人生の前半で活動的でなければならなかったのは、時間ができれば外に向いていた意識が自分に向かってしまうからではないでしょうか。じっとしていると一番厄介で遠ざけていたことが頭に浮かんでしまい向き合ってしまう。こうした人にとっては何かに追われている状態の方が、何もない状態よりも心が休まり

    活動的であることで忘れようとしているもの|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2021/11/29
    “「足るを知る」とは、現状追認とイコールではない。外に問題はあるのでそれを解決するし、成功は大切なので頑張って獲得する一方で、今私は十分幸せであるという状態がある”
  • オリンピックを終えたアスリートの方へ|Dai Tamesue(為末大)

    オリンピックを終えた選手の皆さんお疲れ様でした。結果が良かった方も思わしくなかった方もいると思いますが、どの選手もここまで努力してきたことは素晴らしいことだと思います。 このようなタイミングでお話しするのは憚られますが、お伝えしたいことがあります。それはオリンピックに出たりメダルを取っても幸せになるとは限らない、ということです。 東京五輪の残像というがあります。 1964年に東京五輪に出場した選手を追跡取材しているものです。オリンピックの光があまりにも強いために、呪縛から逃れられず苦しむ様子が描かれています。オリンピックに出る方法、勝つ方法はたくさん語られていますが、出てしまった後どのように生きていくかは実はあまり語られていません。 大きな大会の後や目標を達成してしまった後に、燃え尽き症候群と言われる症状が出ることがあります。アスリートは極度の重圧にさらされているために一般の方よりも精神

    オリンピックを終えたアスリートの方へ|Dai Tamesue(為末大)
  • 率直なフィードバックを受け取るために|DaiTamesue為末大

    言わないけれども思っていることで、率直なフィードバックを受け取れるかどうかが勝つためには大事だと書きました。その中で、プライドが高い人は率直なフィードバックを受けられないということを書きましたが、これはいったいどのようなメカニズムなのか考察してみたいと思います。 もちろん個人差も当てはまらない人も一定数いるという前提で大雑把にまとめてご説明します。プライドが高い人は環境に適応しプライドが高くならざるを得なかった背景を持っています。ではどのような環境に適応したのか。それは能力と自分の存在価値が一致した環境に適応したのだと思います。適応した結果、能力が高ければ高いほど自分には価値があり、低ければ低いほど価値がないという外からの評価と自分の価値が一致するという思考モデルが出来上がったのだと思います。 能力と自分の存在価値が一致した環境とは、親も周囲の大人もそう思っている環境のことです。親もまた能

    率直なフィードバックを受け取るために|DaiTamesue為末大
    t2wave
    t2wave 2021/05/21
    "率直なフィードバックを受け取れないのは能力と自分の存在価値が一致した環境に適応したから""受ける側だけでなくフィードバックする側もメンタルモデルで切り離せているかが大事"
  • 楽しむことを邪魔する自分の価値観|DaiTamesue為末大

    立派なものや社会において価値があるものは、人間の価値観の総意が決めていて、価値観がなくなってしまえば意味もなくなる。そのうえで敢えて立派なものを追いかけてもいいし、別にいいやと自由に生きてもいい。 価値観がなければ人間は悩まない。自分はどうしてこうなのかという悩みは、こうであるべきだという価値観があるから成立する。相手はなぜこうなのかという悩みは、人間は普通こうであるべきだという価値観があるから成立する。悩みは悩みそのものを考えるより、なぜそれを問題だと自分は思うのかを問いかけた方が正体が浮かび上がりやすい。それが悩ませているのではなく、自分が悩んでいるのだ。 価値観は良いか悪いかということだから、価値観を通して物事を見れば、物事は必然裁かれることになる。楽しむということは裁かれることと相性が悪い。しかも価値観が単一であれば、その良い悪いが揺らがない。価値観に染まった人は楽しいですかと聞か

    楽しむことを邪魔する自分の価値観|DaiTamesue為末大
  • 人間は複層的であることを前提とする|DaiTamesue為末大

    人間は物語化しやすいと書いたが、それは人にも当てはまる。人は誰かを見て勝手にその人がどんな人であるかをわかりやすく想像する。人間にはいいところも悪いところもある。優秀なところもダメなところもある。というのは頭では知っていても、なかなかそのようには人を捉えられない。 例えばアスリートや政治家の方、タレントの方などは容易にイメージが加速しやすいが、近い世界にいくと聖人君子などいないことがよくわかるし、一方で悪態をついている人がとても周辺から愛されていることもある。人間は複層的で、どこから見るかで評価は全く違うことはよくある。 人間を複層的に見られないことの問題はどこに現れるのか。例えば人を適切に評価できることは、上に立つときでも、また仕事先を選ぶときでも大事な能力だが、いい人であることと優秀であることは往々にして違うのに、複層的に見られない人はこれを混同する。嫌な奴だから能力が低いと判断したり

    人間は複層的であることを前提とする|DaiTamesue為末大