若い時は社会的にアクティブだった人間に久しぶりに会うと、鬱になっていたり活力が失われていて別人のようになっているということがあります。以前はそういう方と話をして「どうして活動的ではなくなったのか」と考えていたのですが、今は「活動的にならざるを得なかったのはなぜか」と考えるようになりました。 活動的である時は意識も活動も外に向かっています。外の問題を解決し、外での成功を考えています。外に向かって一生懸命になっている時は、意識が内に向かわないで済みます。失恋の苦しみから逃れたいと忙しくする人とよく似ています。その人が人生の前半で活動的でなければならなかったのは、時間ができれば外に向いていた意識が自分に向かってしまうからではないでしょうか。じっとしていると一番厄介で遠ざけていたことが頭に浮かんでしまい向き合ってしまう。こうした人にとっては何かに追われている状態の方が、何もない状態よりも心が休まり