よい質問です。立ち止まることを意識している時点でまず問題はなさそうですが、いかに立ち止まるかというのは人生の、とりわけ後半においてはより大きな意味を持ってくることのひとつだと僕もおもいます。 かく言う僕も今に至るまでありとあらゆる事柄に対して、たぶんこれは本当だろうな、というフワッとした認識のまま歩み続けています。と言ってもすべてを疑ってかかっているわけではもちろんなくて、例えばいま僕は多くの人と同じように「地球は丸い」と認識しているけれども、仮に実は皿みたいに平らだったという新事実が目の前で叩きつけられたとしても、そこに説得力があればそれを受け入れられるくらいの心持ちでいたい、ということですね。