其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑(のどか)な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁(おいらん)の笑いの種が盡きぬようにと、饒舌(じょうぜつ)を売るお茶坊主だの幇間だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。女定九郎、女自雷也、女鳴神、―――当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙(こぞ)って美しからんと努めた揚句は、天稟(てんぴん)の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。芳烈な、或は絢爛な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍った。 馬道を通うお客は、見事な刺青(ほりもの)のある駕籠舁(かごかき)を選んで乗った。吉原、辰巳の女も美しい刺青の男に惚れた。博徒、鳶の者はもとより、町人から稀には侍なども入墨(いれずみ)をした。時々両国