2006年3月6日のブックマーク (5件)

  • 研幾堂の日記

    t_kei
    t_kei 2006/03/06
    あー、、そうか。「哲学の産まれ出る様を描き出しているもの」、そう捉えれば表面的なもの以上の深い意義が見えてくるんだ。それにしてもモジモジさんとの間でどんな応答がなされるのか楽しみだなー(我ながら軽薄)
  • ルワンダ虐殺と関東大震災における朝鮮人虐殺 - jimusiosaka’s blog

    『ホテル・ルワンダ』のパンフレットに町山智浩氏が掲載した文章が、様々な議論を呼んでいます。 なお、町山氏の文章については、こちらで全文が掲載されています(http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060304/1141410831)。 さて、それらの議論の中の、二つの虐殺における共通した普遍性と、それぞれの虐殺の特殊性とをどのように理解すべきか、という問題については、以下の記事において非常に明快に論じられていると思います。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060228#p1 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060305#p1 また、こちらの記事も同様に明快です。 http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E2006030

    ルワンダ虐殺と関東大震災における朝鮮人虐殺 - jimusiosaka’s blog
    t_kei
    t_kei 2006/03/06
    「われわれをどう救うかという問題である。」
  • 上野千鶴子『生き延びるための思想』(3) - charisの美学日誌

    [読書] 上野千鶴子『生き延びるための思想』(2006年2月、岩波書店) (写真は『女の平和』。2003年7月、アメリカのスタンフォード大学における上演。ペニスに呆れるリュシストラテ。) 上野の議論のもう一つの柱は、国家が公認する殺人としての戦争の問題である。国家が国民を兵士として戦争に動員することは、たとえ民主的に選ばれた国家であっても、つねに正しいわけではなく、無条件に正当化されるわけでもない。上野は、小林よしのりの「戦争に行きますか? それとも日人やめますか?」(『戦争論』)という「脅し」を批判するだけでなく(37)、橋爪大三郎の「それが民主的に決定されたものなら、応召に応えて戦地に赴くのが正しい」という発言も、全面的に正しいとは認めない(137)。上野は「市民権」という概念に依拠して、国家と個人の契約は全面的なものではなく、部分的なものであることを主張する。 「来ならば市民と国

    上野千鶴子『生き延びるための思想』(3) - charisの美学日誌
    t_kei
    t_kei 2006/03/06
    「つまり、戦争という暴力を極限に突き詰めるならば、それは他殺の仮象をとる自殺なのである。」
  • 『生きててもいい…?〜ひまわりの咲く家〜』 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    金曜エンタテイメント『生きててもいい…?〜ひまわりの咲く家〜』@フジテレビ 以下は(もし読んでいただけるのでしたら)、↑のリンク先のあらすじを踏まえて、読んで欲しい。とりあえず、僕は↓のように感じたのだけども、自信がない。ご批判あれば、いろいろ意見を聞いてみたい。 このドラマの素晴らしかったと思う点は、人間がどうしようもなく不完全である、という事実から目を反らしていないところだ。あらすじを見てもらうと分かるが、里親母の仕打ちはなかなかにヒドイ。少し抜粋。 ・・・また、千佳子(里親母)は、躾に厳しく何かにつけて真希(里子)に対して採点をした。家の手伝い、勉強のことを「ちゃんとできなかったらマイナス10点」というように。通知表を前に千佳子にプラスの点数を付けられる真希は単純に喜ぶのだったが、心の中では千佳子に見張られているようで、息苦しさを感じていた。 そんな折、真希は千佳子に対してある疑いを

    『生きててもいい…?〜ひまわりの咲く家〜』 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    t_kei
    t_kei 2006/03/06
    コメント欄。
  • 嫌倫家テーゼの不毛さを拒否する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「2006-03-02 - 恐家の献立表」で召還されてしまった。しかし、強制召還/強制送還、並べてみると、随分印象が違う。世界中の難民は、安全で快適に過ごせる場所に強制召還されるべきだ。と試みに言ってみる。以上、論とは関係なし。 関連 恐家の献立表 恐家の献立表 嫌倫家テーゼの隠された党派性を暴く A:この世界では、誰かを踏みつけにしないで生きることは不可能である。*1 B:誰かを踏みつけにしている人は、「踏みつけにしないこと」を説く資格はない。(嫌倫家テーゼ) t-hirosakaさんのところでの引用を見る限り、引用されている嫌倫家氏は、Aを明示せずにBを主張しているように見える。しかし、Aは事実認識についての命題であるが、僕はこの命題を妥当だと思うので、これを導入する。そして、この二つのテーゼから論理的に導かれることを考える。それは次のようなテーゼである。 C:「踏みつけにしな

    嫌倫家テーゼの不毛さを拒否する - モジモジ君のブログ。みたいな。
    t_kei
    t_kei 2006/03/06
    「世界中の難民は、安全で快適に過ごせる場所に強制召還されるべきだ」「表現と表現者の関係は考慮にいれてよい、むしろいれるべき」