2012年5月28日のブックマーク (2件)

  • 日本人はなぜ絵やアート作品を買わない? 電子美術館 現代美術の質問回答Q&A

    ――日人は、めったなことでは美術を買いませんね? 日で絵を買う人が少ない原因は、住宅が狭いせいだとも言われてきました。要するに家に壁がないという問題。壁はあるにはあるのですが、タンスや棚で埋まってしまうから、絵を飾るスペースが残っていないという説明でした。 ――その説明は、原因として当なのですか? たぶん迷信です。絵を買わない理由は、単純に絵がわからないからだと考えるべきでしょう。その根拠のひとつは、日の画廊が扱っている絵のほとんどが小品で、しかも号数ひとけた台のミニ作品に力を入れている点です。狭い家への対応は画廊がもうやっています。F3号以下はA4版の雑誌よりも面積が小さいので、買わない原因は展示スペースではないでしょう。 ――要するに、無教養だということですか? まあ、そこには裏があります。例えば、美術をわかるような人は何かおかしいという、ばくぜんとした空気が日にあるでしょ

    t_utsumi
    t_utsumi 2012/05/28
    ここまで突き抜けていると逆に気持ちいい。マネジメント的には「顧客の創造」をしましょう、ということで。
  • 第三者としてのマニュアル - β2

    熟達者がそれを作り、初学者がそこから学ぶ。それがマニュアルに対する認識だった。 組織においてはそれが逆ではないかということを、ある話を聞いて思った。 ディレクターは自ら手を動かして仕事をしてはいけないという。彼がやるべきことは指示と判断であり、その際にはマニュアルが必須なのだという。マニュアルは当は、熟達者のためにある。熟達者は、マニュアルから引用し、指示を出す。相手の仕事に対しても、マニュアルに従っているかどうかによって、判断を下し、伝える。もちろん熟達者なのだから、マニュアルに書いてあるような内容は熟知しているし、そんなものをいちいち見なくても同じく指示や判断をくだすことはできる。しかし、それはやってはいけないことだという。 組織において、そこで行き来する指示や連絡が、個々人の好みにすぎないのか、あくまで仕事としての割り切った判断なのか、それが明解であることはとても大切だという。たと

    第三者としてのマニュアル - β2
    t_utsumi
    t_utsumi 2012/05/28
    実践の理論化としてのマニュアル。現状を批判するためにもこれは重要。