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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "叙事詩" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2018年1月)
『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)は、平安時代末期に編まれた歌謡集。今様歌謡の集成。編者は後白河法皇。治承年間(1180年前後)の作。 後白河法皇は少年のときより、今様と呼ばれる歌謡を好んだ。歌の上手を召して多くの歌謡を知ったが、死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にした。また、歌謡の歴史などについて、別に口伝集十巻を残した。 書名の「梁塵」は、名人の歌で梁の塵も動いたという故事[1]より、すぐれた歌のこと。 『梁塵秘抄』の名は『徒然草』第十四段に見える。また『本朝書籍目録』に20巻と書かれている。しかし、近代までは口伝集巻第十が『群書類従』に収められたのみで、他の部分は失われたと考えられていた。 しかし1911年(明治44年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見された。そして大正から昭和にかけて、佐佐木の校訂による本が
大道詰将棋(だいどうつめしょうぎ・大道棋ともいう)は、道端や縁日などで出題されていた詰将棋である。簡単に詰むように見えて意外な受けがあってなかなか詰まないという特徴がある。 道端での将棋の商売は、大正時代前期に野田圭甫と荻野龍石という2人の人物がそれぞれ別の場所で始めたとされている[1]。彼らは最初は道端で定跡の講義をしながら棋書を売っていた。詰将棋は最初客寄せに使われていた。2人より後に商売を開始した堀内宗善は、古典から改作した詰将棋を出題しながら詰将棋書を売っていた。大正時代後期には野田や荻野も詰将棋の出題が主体になっていた。 また、大道詰将棋は賭博の一種でもあり、1回いくらかの料金(1回100円でも、10回続けて失敗すれば1000円を支払うことになる)で客に詰将棋を解かせ、解ければ金品を賞品として与える形が主流となる。升田幸三は幼少の頃、家出をしたときに大道詰将棋を詰ませて生活費を稼
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