藤原 実資(ふじわら の さねすけ、天徳元年〈957年〉 - 永承元年〈1046年〉)は、平安時代の公卿。藤原北家小野宮流、参議・藤原斉敏の四男。 藤原北家嫡流・小野宮流の膨大な家領を継ぎ、有職故実に精通した当代一流の学識人であった。藤原道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫き、権貴に阿らぬ人との評価を受けた。最終的に従一位・右大臣に昇り、「賢人右府」と呼ばれた。実資の残した日記『小右記』はこの時代を知る貴重な資料となっている[1]。 祖父・実頼の養子となり、「実」の字を与えられる。非常に愛されて家領の多くを相続し、小野宮流を継承した。 小野宮流は藤原北家嫡流でありながら、分派であるはずの九条流に摂関家の主導権を奪われたが、九条流に対して記録資料の面で優れ、故実に通じる家として著名であり、実資は膨大な記録資料を実頼より継承したといわれる。また学問のみならず、蹴鞠の達人としても知られ、