『青鞜』誌の名前はわが国のフェミニズム運動史において、その創刊の辞「元始、女性は太陽であった」とともに重要な意義をもっている。 今日はその創刊の辞を書いた平塚らいてうの誕生日。Googleトップページも『青鞜』を手にとる平塚と女性たちのイラストに変更されている。記念日にあわせてロゴが変更される「Google Doodle」によるものだ。ここに描かれた平塚らいてうとは一体どんな人物だったのだろうか? 平塚らいてう、運動に捧げた生涯 平塚らいてうは本名を平塚明(はる)という1 。1886(明治19)年、政府高官の裕福な家庭に生まれた。自由な学芸を求めて1903(明治36)年に日本女子大学の家政学部に入学するも、良妻賢母を旨とする保守的な教育方針に失望を覚え、独自に哲学書へ打ち込む。 そんな平塚を一躍有名にしたのは1905(明治41)年の心中未遂事件だった。相手は漱石の門下生であった森田草平。痴