いろんなイベントや集まりにしっかり参加しているお写真が多いです。航海安全を願って…という理由で南極に行ったのであまり記録がなく、資料の寄贈・整理とともにたけし氏の写真が発見されたそうです。
![第1次南極観測隊として宗谷に乗船した『たけし(猫・オス・三毛)』が全力で"何もしないお仕事"をしていた記録「猫の話は初めて知った」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/efd360f5823b4405d4abf00d81a89daf2005f396/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Ff05e45fff245361afb4e62219b79845b-1200x630.png)
第1次南極観測隊が出発する直前、ある人から託された一匹の三毛猫。雄の三毛猫は珍しく縁起がいいとされ、航海の安全を願って宗谷に乗せられました。そして観測隊の一員となった三毛猫は、永田武隊長の名前をもらい「たけし」と名付けられました。 たけしはペットとして活躍しましたが、樺太犬のように犬橇を引いて働いたり研究の対象とはされなかったために、残されている記録はわずかです。猫がいたことを知っている人は少ないのではないでしょうか。 最近になり整理・寄贈された資料から、新たにたけしの写真や映像が発見されました。 残念ながら永田隊長とたけしが一緒に写っている写真は、これまでに整理された極地研アーカイブの中には見つかっていません。 日本でただ1匹南極で越冬した猫、たけしの貴重な写真を一挙に公開します。 *南極新聞上では「たけし」と名付けられていますが、「タケシ」と書かれる場合もあります。ここでの表記は通常「
1956年11月、国内で初めて南極地域観測隊が結成され、第1次隊53人が東京港を出発した。最初の越冬の後、昭和基地に置き去りにされた2匹のカラフト犬が生き延びた実話は「タロとジロ」の奇跡の物語として人口に膾炙しているが、実はもう1匹の生存犬がいたという「事実」は、ほとんど知られていない。 (「週刊新潮」創刊65周年企画「65年目の証言者」より) *** メンバー53人のうち、57年2月からの「第1次越冬」には11人が参加。そのうち唯一存命なのが北村泰一・九州大学名誉教授(89)である。北村氏は当時25歳、京都大学理学部地球物理学科を卒業し、オーロラ研究のため越冬隊に加わった。その傍ら、最年少だったこともあり、現地の移動手段だった犬ゾリを引くカラフト犬の“世話係”を任されることになった。 越冬の前年、北村氏は北海道稚内市で行われた犬ゾリの訓練に参加。操縦方法や独特の序列を持つカラフト犬の性格
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