ビデオ電話なんて絶対広まるわけない、と予言してる人がいます。 それはピンチョン後継のポストモダン文学の旗手デヴィッド・フォスター・ウォレス。どうしてダメなのか? フィクションですけど、Kottkeが引用した1996年の小説『Infinite Jest』にはその理由がこう書かれています。 昔ながらの電話なら受話器の向こうで相手が自分の話に100%意識集中してるように思えるし、自分では彼女の話を100%も聞く必要がない。昔からある耳だけの会話では半分意識をあらぬ方向に逃避させ、まるでハイウェイを流し運転するみたいな催眠状態に入ることができる。 喋りながら部屋を見回してもいいし、落書きしてもいい、念入りにヒゲを剃ってもいい、上皮から死んだ皮を剥いたっていい、電話の下敷きについて俳句詠んでもいい、ストーブの上の温め物を掻き混ぜるのも自由、部屋にいる別の人間と身振り手振りや大げさな顔の表情つくって全