宇宙に関するtadashihimukaiのブックマーク (4)

  • ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)によるアポロ計画最後の17号着陸点 - 逝きし世の面影

    39年前の1972年2月11日アポロ計画最後のアポロ17号は、晴の海東南にある南北を山地に囲まれた平らな谷、タウラス・リトロー地域に着陸した。 2年前の2009年にアメリカの月探査機、ルナ・リコネイサンス・オービター(LRO)が高度50キロから分解能50cm級の映像でアポロ17号の着陸場所を撮影している。 9月6日米航空宇宙局(NASA)はLROの撮影高度が21~24キロと低く、より鮮明な8月に撮影した画像を公開。 今回のLROでは『宇宙飛行士が歩いた跡』などがより鮮明に写っていると発表しているが、残念ですが何かの動いた痕跡は確認されるが米航空宇宙局(NASA)が言うような『宇宙飛行士が歩いた跡』かどうかまでは判別出来ない。 NASA自身は公開画像よりも、もっと鮮明な『足跡が写っている』ものを持っているのかも知れないが、それなら何故公開しないのか。 これまでのNASAによるLROが撮影した

    ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)によるアポロ計画最後の17号着陸点 - 逝きし世の面影
  • 人間は月に行ってない 大学生の2/3 - 逝きし世の面影

    『早川由紀夫の火山ブログ』 勤務先の教育学部で、必修授業「子どもと世界」を分担しています。1年生220人を前期110人、後期110人に分割して授業します。私の担当は、前期1回、後期1回です。 今年から内容を「子どもと科学 疑似科学を信じるこころ」に変更して、きょう授業しました。90分授業の前半で、まずアポロ計画を2枚のスライドで次のように説明しました。 アポロ計画 • 1969年7月、アポロ11号は月の「静かの海」に着陸した。その後1972年までに、5回にわたって宇宙飛行士が月に降り立ち、科学的調査や試料採集をした。 • しかし、これはフィクションなのではないかとする意見がある。 状況証拠 • 40年前に行ったきり、その後行ってないのはおかしい。そんな昔に、そんな高度な技術があったとは考えにくい。 • 当時は、東西冷戦だった。アメリカには、みずからの技術力をソ連にみせつけたい動機があった。

    人間は月に行ってない 大学生の2/3 - 逝きし世の面影
  • 偽装の連鎖 アポロの元ネタはソ連のルナ9号か - 逝きし世の面影

    『堅い月面 チリなし』アポロ11号の3年前、1966年のルナ9号月面電送写真の謎 ソ連の無人月探査機ルナ9号は1966年2月3日に世界で初めて月面(あらしの海)への軟着陸に成功する。 二日後の2月5日、ソ連のタス通信は世界に向けてルナ9号の構造や飛行経路の詳細と共に上↑に示した月面の電送写真を公表した。 このときのタス通信によると、ルナ9号の電送写真の解像度は1~2ミリ。写真に見える、長い影を引いている石の大きさは約15センチで、ステーション(ルナ9号)から約2メートルのところ。ルナ9号から地平線までの距離は約1・5キロメートル。(月は曲率が大きい為に見える範囲は地球の16分の1程度) 実は、情報公開が遅れたソ連よりもマスメディアが極度に発達しているイギリスが手回し良くルナ9号の電送写真の公開を行っていた。 英国のジョドレルバンク天文台がソ連の電波を傍受してルナ9号の写真をソ連のタス通信の

    偽装の連鎖 アポロの元ネタはソ連のルナ9号か - 逝きし世の面影
  • アポロの「月の石」はニセモノとほぼ断定?(ナショナルジオグラフィック紙) - 逝きし世の面影

    砂煙を上げ爆走するアポロ月面車(ルナビークル)の勇壮 これはNASAの公式ホームページの映像(多分アポロ17号)なのですが、現在の最新の知見では幾つもの間違いが含まれています。 月面ですが誕生以来45億年もの長い間の太陽風や宇宙線、日向と日陰、昼と夜とのプラス125度からマイナス170度、最低ではマイナス240度にもなる温度変化で岩石の劣化が極限まで進んでいる。 岩石が風化した今では月面全体が隕石の衝突で舞い上がった細かい砂粒のレゴリス(regolith)に一面覆われていて、深い場所では数十メートルにもおよぶ。 (比較的若い玄武岩の溶岩台地の月の海ではレゴリスの厚みは数メートル) 半世紀前のアポロ計画の当時は記事上↑に示したNASAの写真のように、月面はゴツゴツした岩が剥き出しの世界とのイメージだったのですが、実は月は全面が『砂の世界』だったのです。 全面が微小な『砂だけの世界』なので、最

    アポロの「月の石」はニセモノとほぼ断定?(ナショナルジオグラフィック紙) - 逝きし世の面影
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