ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych
ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych
『文學界』の1月号に いま話題の 佐々木中の本についての書評を 掲載しました。 もう雑誌も書店においていないので ここで公開します。 なぜこの口調が必要か? 佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』書評 國分功一郎 本書は『夜戦と永遠』で注目を集めた佐々木中の第二作である。その中心テーマは〈読む〉ことである。読むことがどれほど爆発的な力をもっているか。たとえばルターは聖書を読むことで、この世界の秩序の無根拠を知った。ルターの起こした〈革命〉(=宗教改革)はそこからこそ説明されうる。かくして佐々木は、文学こそが「革命の本体」であり、「革命は文学からしか起こらない」と断言するに至る(八〇ページ)。この断言を、ルターはもちろんのこと、ムハンマド、更には佐々木がルジャンドルに依拠しつつ注目する中世解釈者革命を通じて確認していくのが、本書の大筋である。その中途では、諸領域をまたがる溢れんばかりの知識が惜し
福嶋亮大 (ふくしま・りょうた) 1981年生まれ。文芸批評家・中国文学者。 京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(中国文学) 現代文学と現代中国文化を主なフィールドとする。 著書に『神話が考える ネットワーク社会の文化論』(青土社、2010年)。論文に「物語の見る夢――華文世界の文化資本」(『思想地図』vol.1)、「ホモ・エコノミクスの書く偽史」(『思想地図』vol.3)など。 →bookwebで購入 「文学の組み換えのために」 1980年代頃から、日本の文芸批評では「近代文学の終わり」が公然と指摘されるようになった。日本社会の大衆化・メディア化が進むなかで、明治以来の文学世界――本書の言い方を借りれば「安下宿に住んでいる文学青年とその延長にある人びとの視野にあるだけの世界」――はややもすれば文壇のお座敷芸に近づき、社会的影響力を失っていったのである。そして、その退潮に伴って、日本
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く