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増田と教育に関するtaizouzoのブックマーク (8)

  • 中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学に合格した

    参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが) まずは生い立ちから 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的な自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関で受診したところ、聴力も問題なく知的障害(自閉症)との確定診断。 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳の交付)。 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園。 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園。 保育園の間は、ずっと会話は不成立。 まずテレビを捨てました。 3歳でビデオデッキの操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを

    中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学に合格した
  • 努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった

    格差社会の話で、個人の努力を云々する人がいて、 それは個人に責任を押しつける結果にしかならないと思うんだけど、 ただまあ確かに当事者としての貧乏人に何ができるかっていうと、 選挙に行っても明日すぐに楽になるわけでなし、 明るく生きることを考えたり、這いあがろうと努力したりしかなくて、というのはあると思う。 自分の話。 親はブルーカラーの労働者で、まあ極貧とまでは行かないけど、生活は苦しかった。 早く商業高校でも出て自分で稼いで、好きなことにお金を使いたかった。うまいものをいたかった。 だけど僕の高校進学のことで中学の先生と三者面談をしたときに、先生が親に「普通科へ行かせてやってくれ」と言いだした。 僕も親も、高卒で就職することしか考えてなかったから、それはない、と言う。 でも先生は「こいつは大学に行かせてやって下さい」という。かなりしつこかった。しばらく問答したけど、 最後には「お金は何

    努力すれば格差を乗り越えられる、なんて思いつかなかった
  • 息子の高校に行ってきた

    どうにもやりきれなくて、もやもやを書き出してみる。 今日、息子の高校に行ってきた。 昨日の夕方、携帯に息子の担任の先生から連絡があった。 内容は 6限目の数Ⅱの小テスト中に、記述方法で息子が質問をしてきた。 質問は禁止だったから他の生徒の迷惑になるので叱って机を廊下に出そうとした。 息子が抵抗したので息子の部活のラケットを鞄から出して取り上げようとしたら、それにも抵抗された。 息子が校長に訴えると怒鳴って校長室に行った。 校長は出張中で不在のため、学年主任が代わりに話を聞いた。 私がはい、はい、とただ返事をして聞いていると そこで、学年主任に電話が変わって、もう一度、今度は息子から聞いた内容を説明された。 息子はもともと、提出物を全く出さない、とか、質問で授業を止めるなど問題行動が多い。 正直、先生が大変手を焼いていることもわかっていて、特にこの担任の先生とは相性が悪いから申し訳ないなと思

    息子の高校に行ってきた
  • 元増田です。言葉づかいが悪くて申し訳ありません&恩師K先生のこと

    増田です。ホテントっててびっくりしました。 「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。 言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。 現在の仕事教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。 あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこ

    元増田です。言葉づかいが悪くて申し訳ありません&恩師K先生のこと
  • アホの子教えるのは楽しかった

    学生時代バイトで個人指導の塾講師をやっていて、座ってられない&話が聞けない中2とか、アルファベットのaとdとbの区別が付いてなくてbog とかdopple とか平気で書いちゃう中3とかを担当していた。 そういうレベルの子供でも、ちょっとした一言というかきっかけが見つかれば変わるし、偏差値27から50超のだいたい普通レベルまでもってくことは、片手間の個人指導の大学生バイトでも割と難しくなかった。 逆に私にとっては、普通の子を出来る子にする方が簡単じゃなかった。人に勉強への自発的意欲があって家庭の協力があれば偏差値60超くらいまではいけたけど、そこから先は元々の素養がないとダメかなぁという感じだった。個人的な体感だと65を超えるのは元々の素養が大きく左右するなぁと思っていた。 アホの子を普通の子にする役目は、他のバイト講師仲間の誰もがやりたがらなかった。私はアホだったからそっちのが性に合って

    アホの子教えるのは楽しかった
  • 側溝に落ちたカエルを助ける方法の子どもに嫉妬した

    雨で急流にもまれて流されていく側溝のカエルを助ける方法について、同じこと小学生の頃に考えて同じように夏休みの自由研究にした。 試した材料は、シュロ、藁の束、細く裂いたスポンジなどを使って実験した。 ショボかったけど機械工作で定期的にゆっくり陸地に上がるようなものも作った。 これはカエルが驚いて結果的にはダメだった。 カエルの自発的な運動に頼るべきで、その際にはどのようにするのがいいのか仮説も立てて今後の研究の余地を示した。 正確な生存率は導きだせなかったけど、カエルがいることで田畑の生態環境にどのような変化があるのかを調べた。 その時の教師に言われたことを今でも覚えてる。 「こんなの研究でもなんでもない。遊んでただけじゃない。夏休み何してたの?」ってね。 その年の自由研究の優秀作品は、女の子が描いた水彩画の「絵日記」だった。 絵がお上手なんだってさ。 親だって周りの親族だって「あいつはカエ

    側溝に落ちたカエルを助ける方法の子どもに嫉妬した
  • 新人と教育係。

    すっごい落ち込んだからここに反省を書く。うちの部署に新人が入って来て、ここ暫く教育してたわけなんだけども。まぁ、平たくいって物凄く物覚えが悪かった。幾ら言っても全然覚えない。叱れば叱るほどミスが増える。指示を出したそばからフリーズする。一度言ったことの9割は翌日には忘れてる。そんな有様で、ついついこちらも語気が荒くなってしまったんだけど。最近、見かねた後輩が「教育係交代します」と言ってくれた。それから二週間。俺が三ヶ月教えてもダメだったことの5倍くらいの量を、新人は難なく覚えてしまった。これは流石に俺に原因があったとしか思えず、後輩と新人にそれぞれ話を聞いてみると「増田さんが言うほど物覚え悪くないですよ、ミスは少なくないですが一つ言えば1、5くらいは覚えます。やる気もあるし素直だし謝れるし、いい新人だと思いますよ」とのこと。俺の感覚としては、幾ら言っても覚えず口ごもるだけの子だったんだが。

    taizouzo
    taizouzo 2010/09/18
    自分の非に気づき、認めて、後輩、新人に話しを聞く。ここが一番すごいと思う。
  • 少年野球を見たこと

    今日たまたま少年野球を見る機会があった。機会といってもただ小学校のグランドを通りがかっただけだが。 見ていると、コーチの大人が小学校低学年の男の子に怒鳴り散らしていた。どうやら同じミスを繰り返したのが悪いらしい。 「野球ってのは厳しいもんだな」と運動音痴のおれは首を竦めてみていたら、子どもは遠目から見ても判るほど泣き出し、コーチが突進するような勢いでその子に詰め寄って殴りやがった。 「ずっと帰宅部で良かったな」とか思いながら状況を見ていると、コーチの大人はボコスカやりながらなじり始めたので、「たぶん野球ではないのだろう」と判断して止めに入った。 いや正直、こいつ、ガキ痛めつけるのに慣れてるんじゃないかって懸念があったんだ。 そしたらひどくコーチの大人にすげえ怒られたよ。 部外者に口を挟まれたのが気にわなかったのか、何者だ!?とか怒鳴られてしまった。 こういう場面は苦手だし、口も回る方では

    少年野球を見たこと
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