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ブックマーク / www.1101.com (13)

  • 第3回 最少人数のチームで | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞

    『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、 世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥ と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと 宮茂さんのことを言い切れてない気がします。 クリエイティブでアイディアにあふれているけど、 どこかでふつうの私たちと地続きな人、 任天堂の宮茂さんが久々にほぼ日に登場です! 糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、 いまもときどき会って話す関係なんですが、 人前で話すことはほとんどないんです。 今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、 ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。 ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、 最後までずっとおもしろい対談でした。 え? 宮さんがつけた仮のタイトルが、 『なにもできないからプロデューサーになった』? そんなわけないでしょう、宮さん! 糸井 宮さんが入社したばかりのころは、 ある意味、任天

    第3回 最少人数のチームで | なにもできないからプロデューサーになった | ほぼ日刊イトイ新聞
    taizouzo
    taizouzo 2024/01/04
  • 1 「全裸中年男性」が出てきちゃった。 | この戦争は、私たちの日常とつながっていて。小泉悠×糸井重里 | 小泉悠 | ほぼ日刊イトイ新聞

    メディアに多数出演、 Twitterでの独自のキャラクターにファンも多い ロシア軍事研究家の小泉悠さんに、糸井重里が ウクライナ戦争の話をうかがいました。 なかなか語るのが難しい話題ですが、 軍事オタク出身で、ちょっとしたユーモアや キャッチーな話題などもはさみつつ、 やわらかく語ってくださる小泉さんのお話は、 身構えず、落ち着いて聞くことができます。 日で暮らす私たちはこの戦争について、 どんな軸を持てばいいのだろう? 「知っておいたほうがいい部分」や 「考えておくべき部分」は、どこだろう? 戦争や軍事との向き合い方を考えるための なにかヒントになれば、と思います。 *2023年5月「生活のたのしみ展」でおこなわれた 「ほぼ日の學校 特別授業」を記事にしたものです。 >小泉悠さんプロフィール 1982年千葉県生まれ。 民間企業、外務省専門分析員などを経て、 2009年、未来工学研究所に

    1 「全裸中年男性」が出てきちゃった。 | この戦争は、私たちの日常とつながっていて。小泉悠×糸井重里 | 小泉悠 | ほぼ日刊イトイ新聞
    taizouzo
    taizouzo 2023/08/10
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 社長に学べ! - 任天堂社長 岩田聡

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  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

  • 岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

    創刊当時より、ほぼ日刊イトイ新聞にいろんなかたちで関わってくださった岩田聡さんが、7月11日、永眠されました。岩田さんがご登場くださったたくさんのコンテンツを、いま、読みたい方も多いかと思いますので、代表的なものをまとめました。ご冥福をおいのりいたします。

    岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  • NHK_PRさんが ユルくなかった4日間 - ほぼ日刊イトイ新聞

    ありがとうございます。 このは、あとがきにも書きましたが 御社の乗組員である 西(武司)さんという人が 「PRさん、うちでなにか書きませんか?」と 声をかけてくださって 「私に、できるのかな‥‥」と不安に思いながら 書きはじめたものです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 -ポケットに『MOTHER』。

    ゲーム雑誌の編集者で、 テレコマンとしても活動している永田ソフトが ここでは永田泰大さんとして 『MOTHER1+2』をプレイする日常をつづります。 ゲームの攻略にはまるで役に立たないと思うけど のんびりじっくり書いていくそうなので なんとなく気にしててください。 僕は『MOTHER』が大好きだけれど 明日が発売日だからといって 楽しみで目が冴えて眠れなくなったりはしない。 楽しみだなあと思いながらぐっすり眠る。 三十代なかばの僕にとって 明日の発売日はそのような距離感としてある。 僕は基的に、同じゲームを繰り返すということがない。 それはゲームにかぎらず、映画もそうである。 たとえば好きなゲームを5挙げろといわれたとき 『MOTHER2』はその一角を占める。 けれど、僕は『MOTHER2』を 一度しかプレイしていない。 『MOTHER』はどうだったろうか。 ずいぶん昔にプレイし

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - みちくさの名前。

    エッセイストの吉由美さんと植物の先生といっしょに、 代々木公園や、野川公園などで 「みちくさ」の名前をおぼえてきたコンテンツですが、 昨年の夏に、1回目の先生として登場していただいた 柳生真吾さんの「八ヶ岳倶楽部」におじゃまして、 「ちょっと中締め」となりました。 それから、半年。 「みちくさの名前。」は書籍になりました! こちらがその表紙です。 を編集してくださったのは、NHK出版の小湊さん。 吉由美さんとは古くからのお知り合いで、 吉さんの書籍も数冊編集されており、 奇しくもその中の一冊が、「道草散歩」という書名でした‥‥。 この紳士が小湊さん。 秋口に、吉さんから 『みちくさの名前。』のコンテンツをにしたい、 というご相談があり、 小湊さんをご紹介いただきました。 そして後日、 小湊さんに、ほぼ日乗組員・田口が撮影した 植物の写真をどっさりとお渡ししたのです。 最初は、D

  • ほぼ日刊イトイ新聞

    ・高校生のころまでは、朝の8時半というと学校にいたなぁ。 たしか、8時半までには教室のじぶんの席に着いていて、 出欠を確かめられていたような気がする。 っていうことは8時ちょっと過ぎには家を出ていたのか。 逆算すると、7時過ぎには起きていたということか。 ほんとうか、じぶんがそれをしていたことが信じられない。 高校のあとは、もうそういう時刻表から抜け出していた。 それにしても、9時とかに用事があることはあったよなぁ。 なんにせよ、いつごろからかは夜型の生活になって、 夜中はいつまででも起きているけれど、 朝は起きたくないという「人生」になってしまった。 ちゃんと朝から働いている人たちからしたら、 ふざけた暮らしぶりだと思うかもしれない。 自堕落とか怠け者とか、そういうことも思われるかな。 いやぁ、総合すると人並みには働いているつもりだけれど、 とにかく朝の時間にはほとんど眠っているのだ。

    ほぼ日刊イトイ新聞
  • ぼくは見ておこう 松原耕二の、ライフ・ライブラリー- ほぼ日刊イトイ新聞

    TBSの『ニュースの森』のメインキャスター、 編集長、ニューヨーク支局長、 「NEWS23 X(クロス)」の メインキャスターを経て、 現在、BS−TBS『報道1930』の キャスター編集長をつとめている松原耕二さん。 いつもの仕事とはまた別に、 コラムニストとしての目で、いろんな人を観察したり、 いろんな人生に共振してきたようです。 誰も見ていなくても「ぼくは見ておこう」と、 松原さんが、心の奥の図書館に一冊ずつ集めてきた さまざまな「人々の生き方」を、 「ほぼ日」に分けてもらうことにしました。 松原耕二さんのtwitter 2001年から2006年までのタイトルは こちらからお読みいただけます。 令和は世代間闘争の時代になるのか、 というテーマで、 首都圏の大学生16人に グループインタビューをしたのだけれど、 その中で、今の若者像が垣間見える声もあった。 たとえば、就職した会社に一生

    ぼくは見ておこう 松原耕二の、ライフ・ライブラリー- ほぼ日刊イトイ新聞
  • <ほんとに成功する法則。>ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

    糸井重里がほぼ日の創刊時から 2011年まで連載していた、 ちょっと長めのコラムです。 「今日のダーリン」とは別に 毎週月曜日に掲載されていました。 ほんとに成功する法則。 2009-08-03 お、ひさしぶりだな。 元気だったかい。 そうか、元気でなんか読んでるのかい。 ビジネスを中心に読んでるのか、ふーん。 ビジネスっていうのは、 なんだか要するに「成功」について書いてあるみたいだね。 「成功」した人や会社の例を研究したり、 その「成功」にどういう新しい発見があったかとか、 「成功」するには、おれのようにしなさいとか、 だいたいは、そういうテーマだよ。 いろいろあるけど、「成功」がテーマなんだよな。 でさ、「成功」って、 これまた法則があるんだよな。 いわゆる「成功の法則」というものは、あります。 たしかにあるんだよ。 教えろ? 言われなくても教えるよ。 すぐ教えちゃう。 これさ

    <ほんとに成功する法則。>ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。

    そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。

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