原義[編集] シャンバラは元はインドのヒンドゥー教のプラーナ文献に登場する理想郷(ユートピア)であった[4]。ヒンドゥー教のヴィシュヌ派は釈迦をヴィシュヌ神の化身の1つとするが、釈迦のカースト制度批判によって揺らいでしまった社会秩序を正し、カースト制度を立て直すために10番目のアヴァターラとしてカルキが出現すると説いた[5]。シャンバラとは、カルキの治める国の名であった[5]。 仏教のシャンバラ伝説[編集] 『時輪タントラ』とその註釈書『ヴィマラプラバー』(無垢光)は、シャンバラ王カルキは人民を仏教に教化して「金剛のカースト」という1つのカーストに統一し、カースト制度を解消させると説いた[6]。『時輪タントラ』はヒンドゥー教のカルキ説を取り入れつつも、これを批判してヒンドゥー教とは方向性を異にする教説に転換させたのである[7]。 王国の様子[編集] 18世紀のゲルク派の学匠ロントゥル・ラマ