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2019年9月1日のブックマーク (2件)

  • 「還暦過ぎても見た目は40代」南雲医師の食生活 一日一食でおやつはナッツか小魚

    「50歳を超えているのに30代に見える」と、テレビをはじめとしたメディアで話題になった南雲氏。あれからさらに月日は流れ、2019年で64歳になる。いま辿りついた、壮健な生活の境地とは──。 菜主義も健康品も効かなかった 30代の頃は、体重が80キロ近くありました。世はちょうどバブルに浮かれ騒いでいた時代。毎晩、夜更かししては暴飲暴し、タバコが切れると人にもらって吸っていましたよ。もちろん、運動もしないし、移動もタクシー。肥満のため不整脈がひどく、腰と膝に負担がかかって腰痛ベルトが手放せないありさまでしたね。 現在の私は体重61キロ、身長173センチ。BMIは20.3です。体脂肪率は19%。自分でいうのは気恥ずかしいですが、ウエストはくびれ、子どものようにすべすべした肌が自慢です。髪もふさふさで、64歳という年齢を明かすと、いつも周りに驚かれます。 簡単に若返ったわけではありません。3

    「還暦過ぎても見た目は40代」南雲医師の食生活 一日一食でおやつはナッツか小魚
  • 祖国捨て日本へ「済州島虐殺」という地獄 大阪・鶴橋のコリアタウンの背景 (3ページ目)

    政権基盤の弱さゆえの暴走 李承晩が1948年に入り、南部単独での国家樹立を打ち出すと、統一派の反発が南部全域で強まりました。特に、済州島民は政権批判を強めました。済州島は李王朝の時代から弾圧と迫害の歴史を有しており、反体制的な色彩の強い地域でした 。 李承晩は自分に歯向かう「生意気な」地域の代表として、済州島を選び、見せしめに島民を大量処刑することに決めたのです。 この時、済州島に軍や警察とともに派遣されたのが西北青年団でした。ヤクザ者の彼らは島民を略奪・性的暴行・虐殺する「自由」を与えられ、その結果、島民の5人に1人にあたる6万人が殺害されて、済州島の村の大半が焼き尽くされます。 当時の国防長官の申性模(シン・ソンモ)は済州島民の虐殺について、「西北青年団」が島民に乱暴を働いたことであると答え、軍や警察の関与を平然と否定しています。 済州島虐殺事件は、この連載でも前に触れた「漢江橋爆破事

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    takamasa0819
    takamasa0819 2019/09/01
    “李承晩は自分に歯向かう「生意気な」地域の代表として、済州島を選び、見せしめに島民を大量処刑することに決めた”[在日韓国人]