ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
先日、あるいじめ関係のシンポジウムにパネラーとして参加しました。 その席上、長野県の中学校の先生が実践されている「いじめ対策」は、目から鱗が落ちる素晴らしいものだったので報告したいと思います。 それは、以下のような手順で行われます。 1 いじめの認知は、本人、親、友人の誰からの報告であっても 「この事態を心配している人から報告があった」で統一する。 ※ いじめ加害者やその親は「誰がそんなこと言った」と言いがちなので、 教員側の対応を統一しておくことは極めて有効と思われます。 2 必ず、一人の教員ではなくチームで対応する。 ※ チーム対応は教員の一番苦手とするところですが、是非克服してほしいところです。 3 複数の加害者(大抵そうです)と複数の教員が別部屋で1対1で対応する。 ※ ここで、各加害者の発言に矛盾が生じます。 4 15分後に部屋に加害者を残して教員が集合し、情報交換・矛盾点の分析
「成績上位の子どもの保護者は本をよく読む」「下位の子の親が好むのはテレビのワイドショー」。お茶の水女子大とベネッセ教育研究開発センターが共同で調査したところ、親をハッとさせるこんな結果が出た。保護者の普段の行動と子どもの学力には強い関係性があるという。 調査は07年11月〜08年2月、各地の5年生2952人と保護者2744人に実施。子どもにはベネッセのテストを解いてもらい、保護者には普段の行動などを選択肢から選んでもらった。 国語の成績をみると、上位4分の1の最上位層の保護者の70.6%が「本(漫画や雑誌を除く)を読む」と答えたのに対し、下から4分の1の最下位層は56.9%にとどまり、13.7ポイントの差があった。最上位層では「家には本(漫画や雑誌を除く)がたくさんある」という回答も72.6%あり、最下位層より24.6ポイント高い。「子どもが小さいころ、絵本の読み聞かせをした」も80.
日本のサービス産業の効率が低いことは周知の事実だが、教育サービス(特に高等教育)はその中でも最低の部類だろう。私立大学の過半数が定員割れで、中国人留学生で定員を埋めている状態だ。一時、文科省が「大学院重点化」によって乱造した大学院大学も、ほとんどが定員割れで「学歴ロンダリング」の温床になっている。 こういう現状に対して何度も改革が試みられたが、状況は改善されていない。その根本的な原因は、企業システムにある。拙著(第5章)でも書いたように、日本の企業のガバナンスは資本主義の原則である所有権(ownership)による支配ではなく、長期的関係にもとづいた会員権(membership)による支配だから、大事なのは組織に忠実で協調性の高いことで、専門的技能は必要ないのだ。 前にも書いたように、日本の大学はシグナリングの装置だから、その役割は入試のとき終わっている。重要なのは「東大卒」の学歴では
2〜3日前の読売新聞に静岡産業大学学長の大坪壇先生のコラムが掲載されていました。これが思わず拍手したくなるような内容だったので掲載しておきます。全文掲載はまずいのかなとも思うのですが,これは是非読んでいただきたい内容なので踏み切りました。問題があれば削除いたします。 内容は,「学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない」というもの。そう言われれば多くの人が「そりゃそうだ」と思うんでしょうけど,実際は多くの大学教員が教育よりも研究に時間を割いているというのが現実ですよね。 なんでこういうことになるのかというのを居場所論で考えてみると,要するに大学教授というのはいかに教育を行ったかではなく,いかに研究業績を出したかが大学での居場所につながるのだろうと思うのです。その状況ではある程度仕方がない。教育者が,その教育内容でもって評価されるようなシステムの構築が必要なんでしょうね。
義務教育と言うのはいつの時代も為政者に都合よく利用されて来ました。 日本の場合、かつての共産圏や北朝鮮のようなあからさまな洗脳教育は行われていませんが、それでも為政者にとって都合のいい人間を大量に生産するのが教育の目的であることは変わりありません。 義務教育の中で日本人の多くはとにかくお上には逆らわないように暗に教育されます。 その結果、どれだけ年金で搾取されても誰一人として表立って文句を言う若者は現われません。 出る杭は打ちつけ、他の生徒と同じ行動を取らない人間にはなんらかの制裁を加えて矯正していきます。 そして「優秀」な学生は大企業に入って朝から晩まで働いて年収500万円も行かないような給料でそれでもきっかり税金を100%払い続けます。 新卒で入った大企業になるべく長くしがみつきそこで一生を終えるのが正しい「優秀」な日本人だと教育されます。 そしてそこからはみ出たら地獄が待っていると潜
海の日。 世間は休みであるが大学は開校日である。 どうして国民の休日に大学の授業があるかというと、文科省が「すべての曜日半期15回必ず授業をやるように」と強く要望しているからである。 月曜日は休日に当たっていることが多いので、15回やろうと思うと、8月中旬まで補講をしないといけない。 亜熱帯の日本でどうしてお盆のころまで授業をしなければならないのかと思うのだが、日本人の壊滅的な学力低下に対して文科省はとりあえず「15週確保」しか思いつかないのである。 14週を15週にしたくらいで学生の学力が上がるなら誰も苦労はしない。 15週にして学力が上がるなら、20週にすればもっと上がる道理である。月月火水木金金一年365日休みなしで授業をすればさらに学力は上がる道理である。 もちろんそんなことをしても学力低下は止まらない(やれば、わかる)。 教室で眠る生徒や、遊ぶ学生や、そもそも学校に来ない子どもが
父が仕事で東京に出てきたので呑みに行った。父は教育畑の人で、あと1年少しで定年を迎える。ここ何年か県の教育庁で仕事をしていたが、今年度からはまた学校に転属になった。 その席で聞かせてくれた話がいろいろ面白かったので忘れないうちに書いておこうと思う。 父曰く…… 行政の仕事について 行政の仕事を経験してよかったのは、考え方が非常に柔軟になったことだ。 当の役所の人間も含めて、多くの人が勘違いしていることだが、役所で仕事をするというのは、ただ規則に従うことではない。 役所の仕事はとても多い。誰かのためになんとかしなければならないが、今まで誰もやっていないようなこともたくさんある。そのためにクリアしなければいけない手続きもまた多い。 しかし、その煩雑な手続きがあるから何もできないということはない。 たくさんの手続きの中で仕事を進めるには、柔軟な思考と想像力が必要になる。要はつじつまを合わせればい
「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所
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