www.saiusaruzzz.com 「信頼できない語り手」について少し。 簡単なものですが。 ミステリや文芸の世界において神の視点ではなく主観的な(作中人物の)目を通す作品というのは何かしらのバイアスがかかる。 そもそも「語り手」は、作外の作者が語り手(大)であることもあれば作中の人物が語り手(小)でもある。 ただ読者は、どのような語り手(大小)であっても物語として記述された情報をひとまず信用して、その主観を受け入れ物語を読み解くしかない。 今まさに語っている最中の語り手が信頼できるか否かを判定する方法がないはずだが。「この語り手は最初から最後まで嘘をつかなかったので信頼できる語り手とする」、という結果論があるのみでしょう? つまり「信頼すべきだった語り手」はいても、いま・ここで「信頼できる」という語り手はいない。— アザラシは隠しキャラ (@azarashidayou) 2012年4