塾の初回の請求書が届いたんだけど、契約したのも私で同意書書いたのも私で面談したのも私でお金払うのも私なのに、何故か夫の名前で請求書が届いたのでもう通わせたくない気持ちでいっぱいです。ぶっころ。絶対私は金払わねえからな。(世帯状況を書く欄があったので夫の名前は書いた)
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塾の初回の請求書が届いたんだけど、契約したのも私で同意書書いたのも私で面談したのも私でお金払うのも私なのに、何故か夫の名前で請求書が届いたのでもう通わせたくない気持ちでいっぱいです。ぶっころ。絶対私は金払わねえからな。(世帯状況を書く欄があったので夫の名前は書いた)
連日西野亮廣の話題が世間を賑わわせているのでそろそろ彼の戦略、商法について解説しようと思う。 私は西野亮廣研究家の一人で彼のサロンに入っている。 立場を明言しておくと、サロンには入っているがメンバーとは特に交流もなく、クラウドファンディングで支援することもなく 彼のビジネスロジックが書いてあるサロン用ブログを読むだけにとどまっている。まだ0プペである。(追記・ついにプペった) どちらかというとNプペしてキャッキャしてる人たちとは西野に対する温度差がかなりあるのでとても交流できそうにないと思っている側である。 ただ、個人事業主としては彼の戦略は大いに参考になる部分があるのでそれをシェアする。 ということで、どうやってここまで彼が支持者を獲得していったかというところを解説していきたい。 まず最初に挙げられるのがチケットの手売りというところ。 https://www.jprime.jp/arti
皆様ご存知の通り、人が活動すればするほど新型コロナは感染拡大する。影響の多寡こそあれ、夜遊びでも会食でも出社でも登校登園でも。 よって感染拡大を防ぐには何かを自粛の名のもとに犠牲にせねばならない。極めて小さくなった「自由」という名のパイを奪い合っているのが現状だ。 そして感染拡大するにつれパイはますます小さくなる。このままではパイは無くなる。 この現状は絶滅危惧種のウナギに似ていると思う。日本人はウナギを食べるのを自粛しているか?むしろ、どうせ絶滅するならその前に食いたい、という人も多いのでは? 今日もそういう奴の享楽により「自由」という名のパイは食われている。 そして、自粛してもパイが他人に食われてなくなり、何ら報われる事なくこの愚民めがと十把一絡げに罵声を浴びせられるだけなら、いっそ愚民らしく食い尽す側に回った方がマシでは、という気持ちが湧いてきている。 ワクチン普及まで理性がもつだろ
『この世界の片隅に』に続いて、完全に「国民的マンガ・アニメ」の地位を確立したと言える『鬼滅の刃』。 しかしこの作品も、ナショナリズムを煽っているとまでは言えないまでも、その設定・構成にはかなり危ういものを感じさせる。 読んでみてまず最初に引っかかったのは、マンガ版のラストだ。 最終決戦で鬼舞辻無惨を倒し、鬼たちを滅ぼしたことによって、この世界はようやく「人を喰う鬼がいない世界になった」とされる。そして「ただひたすら平和な 何の変哲もない日常が いつまでもいつまでも続きますように」という願いが語られる。(第204話「鬼のいない世界」) 続く最終話である「幾星霜を煌めく命」では、時代は一気に現代に飛び、炭治郎や禰豆子、善逸や伊之助の子孫たちが平和で微笑ましい日常を送る姿が描かれる。 つまり、この物語の世界では、鬼殺隊の剣士たちが命がけで鬼と戦って手にした平和が、そのまま現代まで続いているのだ。
通行止のお知らせ 29日 午後4時18分より国道40号ばばばばばばえおうぃおい~べべべべべべべべべえべえええべえべべべえ(9.9km)で通行止を実施しています 詳細は北海道地区道路情報Webサイトへ https://t.co/k15Rlkvi0T
今日、母を施設に入れてきた。 今日引っ越した施設は2軒目だ。施設から施設の引っ越し。 払える金額内で少しでも良い施設をと必死で探して見つけて、1年以上待ってやっと空きがでた。 コロナに備えて家族総出で厳戒態勢の引っ越し。小綺麗な部屋を見て母はすっかり満足して喜んでいた。 恐らくここが母の終の住処になるのだ。 スタッフさんの説明を聞きながら、隣ではしゃいでいる母は見た目はおばあさんなのに5歳くらいの女の子のようだ。 本当に子供のようになってしまったのだなあと思う。 母は一昨年の5月にくも膜下出血で倒れた。 あと4ヶ月すれば2年になる。 もうこれ以上良くなることはないし、元と全く同じ母に戻ることはないのだろう。 ずっと、母は少しづつ良くなっている、いつかもっと良くなって一緒に暮らせる日もくるかもしれないと思ってたけど、 もうこれ以上はよくならないのだろう。 どんな形であれ、今のこの母の姿が母な
なんで? 原作付きなんだからがんばれよ。 裏世界ピクニックの原作が小説で、メディアの違いがあるから失敗したってのか? ああそうだよ。 俺たちみたいな面倒くさいオタクが、いざ改変したら原作レイプだと口にするからメスを入れられないんだろ? だからなんだよ。 それでも超えてこいよ。 オリジナルアニメは小説原作と違って映像として見せた時の面白さや、実際に発声した際のテンポを最初から考えて作れるから圧倒的に有利だよ。 小説原作はしょせんは小説っていうメディアのために作られた物語をアニメでやるから自然と作品の構成が完璧からは程遠くなる。 地の文と混ざりあった独白と、セリフと混ざりあった独白とでは受け取る側の印象が変わるのは当たり前だし、まして地の文において言葉で価値観や視点移動を説明してしまったものを映像によって再現するのは難しい。 でもやってみせろよ。 アニメ化するってのはオリジナルアニメと戦うって
親がやってるワケわかんない会社を継ぐという話がホッテントリ入りしてて「まんまウチと同じだな」と思ったので書いてみることにした。 うちの父は自宅の一室を事務所として使っていて、社員は父親一人。電話で注文を受けて、同じように注文を出すという只の取次業務を延々とやるだけ。 自分が小さい頃は別に不思議には思わなかったけど、高校生くらいのときは「何か非合法なものを取り扱っているんじゃないの?」と不審に思ったりしたこともあった。 自分は父の跡を継ぐつもりは全くなかったし、父の側にも継がせる気は無かった(多分)。 しかし残念なことに氷河期真っ只中で大学を卒業した自分は全く就職先が決まらず、実家に戻り父の仕事を手伝うことになった。 そしてそこで漸く父の仕事の全容が判明した。 自分の地元は魚の養殖(タイとかハマチとか最近ではマグロとかいろいろ)が盛んで、父は養殖業者向けに養殖用のエサの卸売をしていたのだった
スーパーのパン売り場の片隅で値引きシールを貼られているアレ。 カステラって名前だけどおそらくカステラ風味のパン。 こんな時間に戸棚で見つけてしまった。自分じゃ絶対買わないヤツ。 とりあえず空腹を満たせれば何でもいいのでそれを一口かじる。 スカスカでパサパサ、最悪の食感。このままじゃ喉を通りそうにもない。 口に入れたまま冷蔵庫から牛乳を取り出し一口飲む。 口の中でパサパサのカステラがグングン牛乳を吸い込む。 それからゆっくり噛む。甘さが口いっぱいに広がる。あ、美味い。 さらに2,3回噛むように口を動かす。カステラは完全に牛乳の海に溶けて消えていく。 コップに残った牛乳で喉の奥に流し込む。……もう1個だけ食べたら寝ようかな。
私はブリが大好きだ。 特に煮付けが好きだ。 日替わり弁当が毎日ブリの煮付けならいいのに…ブリ弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。 数あるブリ料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。 それは「ブリのあら煮」であるとブリ論者(私)から結論が出されている。 まずあら煮とはなにか。 魚というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。 例えば頭なんて食える魚もあるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。 大体、頭・血合い・腹骨(をすいた身)、魚によってはヒレ周りなど骨が多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれブリの場合はあら煮になる。 ぶりの場合はなぜそうなるか。 骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。 おまえらが好きな「めで鯛」のタイもあら煮になることもあるがそんなものとは大違
こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。 いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学の卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterのキャプチャで見たのね。 それで、たぶん最初に登壇したときの学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。 「みなさんには二つの選択肢がある」 「今みたいなバラバラの拍手で西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野をあらためて迎え入れるのか」 「僕自身はどっちでもいいんです」 ってやつです。 … 俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつ
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。 今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。 俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。 俺には少し年の離れた兄がいた。 その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。 両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。 それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、 自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。 でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、 人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。 自分は勉
80年代から2020年に降り立った現役女子高生軽音楽部のニューウェーブテクノバンドがネット上で話題になっています。詳細は以下から。 1月17日頃からツイッター上などで、札幌の市立札幌新川高校軽音部の女子高生2人によるnewwave、technopop、industrial grooveを詰め込んだバンド「LAUSBUB」が話題になっています。 ニューウェーブからテクノポップ、インダストリアルというとやはり80年代というイメージですが、実際に彼女らの楽曲からはその時代の影響が強く感じられます。このツイートにはYMOへのガチなリスペクトが溢れていますね。 ⚡️⚡️⚡️ pic.twitter.com/xXb554W1Sk — (@officialausbub) December 15, 2020 もちろん当時から30年以上の日々が流れており、この時代を起点としたさまざまな音楽のエッセンスがあち
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