ブックマーク / amanoudume.s41.xrea.com (3)

  • 発熱地帯: ライブ感コンテンツの最先端『ひぐらしのなく頃に』、ここに完結

    > おそらくコンシューマーゲームの市場に、 > ライブ感のあるコンテンツが登場するのを > 待たなければならないのでしょうね。 なるほど。 確かに、パッケージ型のゲームはリリースしたらメーカ側の関与は終わってしまうので、 相互で盛り上げるというのは難しいですね。 ただ、ゲームの場合は途中参加の難しさ(時間や、個人のスキル、他のゲームの登場)などの問題で、ユーザーが尻上がりに増えるよりも徐々に減っていく傾向が強いですから、そこをどうクリアしていくかですね。 久々にコメントさせていただきます。(私が最後にコメントした記事から読み直し、ちょっと触発される部分があったので(笑)) 『ひぐらし』は、私は怖いのが苦手ですし、コンシューマ版まで待つつもりなので、wikiで知っている程度の知識しかありませんが、この記事を読んで連想したことを少々。 私としては、上の記事を読んで、下の記事を思い出しました。

  • 発熱地帯: ゲームデザインの構造的変換を示す「遠心力」というキーワード(前編)

    発熱地帯:ゲーム業界の構造的変換を示す「遠心力」というキーワード ↑の記事は3年前に書いたもので、実はこのブログを始める前、BBSをやっていた頃に書いた文書です(BBSに投稿したのはたしか2003年の10月頃だったと記憶しています)。それから時間が経ち、ゲーム業界は大きな変化を迎えました。「据置→携帯シフト」や「プロセッサ性能市場主義の崩壊」など、ゲームの受容のされ方、ゲームデザインにまで変化は及んでいます。それをどういう風にとらえるのか、頭を抱えている人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。今回の記事は、そういう人たちの頭の整理のために書きました。 大雑把には「求心力」の時代から、「遠心力」の時代に変わってきたのだと思います。 「求心力」というのは、画面のあちら側、ゲームの内部の表現世界を高めていくことで、ゲームの価値が高まるという考え方です。小さなスプライトから大きなスプライトへ、1

  • 発熱地帯: 日本のゲーム界は「映画→テレビ」に匹敵する歴史的分岐点を迎えている

    ゲームは過去数十年にわたって、技術の進化と共にゲームデザインを変化させてきたメディアです。実際、次世代ゲーム機が出れば、その性能を活かした次世代ゲームが生まれることが期待されてきました。性能向上がゲームを面白くし、ゲームユーザーに支持され、売上も市場も業界も成長するという、素朴な楽観主義が信仰されていたのです。 しかしこの特性は、これから変化していく可能性が高いです。というのは、今やプロセッサ性能至上主義の崩壊が誰の目にも明らかになったからです。それはDSが証明しましたし、今年のE3で多くの業界人が認識したことでしょう。今週のファミ通(P.21)ではなんと、あの鈴木裕氏がプロセッサ性能至上主義が終わったと語っています。 技術が上がれば上がるほど、ゲームおもしろくなって伸びていった時代。でも、いまはそうじゃない。技術はユーザーにとってもう十分満足する状態にあって、成熟期ですよね。DSを成功

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