「AKIBA」と呼ばれるメキシコシティの電気街にそびえ立つ、通称「AKIBAビル」。そこには日本アニメの海賊版DVD……遊戯王カードに興じる若者たち……お好み焼き……と日本サブカル狂い咲きの光景が広がっていた。 みなさんこんにちは。世界新聞社の松崎敦史です。世界一周中のわたくし、現在、メキシコ南部の街・オアハカにいます。ここもこれまで回ってきたメキシコの都市同様、安心して歩ける平和な街です。 ピンク:現在地、青:経由地 より大きな地図で 現在地 を表示 さて、今回は首都メキシコシティー滞在時に取材した「AKIBAビル」について報告したいと思います。ココは色々な意味で強烈な空間でした。 このあたりがAKIBAと言われる一角。本家と比べると規模は10分の1くらいでも、その店舗密集度はかなりのもの 街頭スピーカーからは「AKIBA」のアナウンスが。 何回か足を運びましたが、いつも人でごったがえし
コロンビアの歌姫として知られるシャキーラはベネズエラで先日コンサートツアーを行った際に、同国のウゴ・チャベス大統領にサイン入りの赤いギターをプレゼントしていた――。 そんな報道が流れた時、当のシャキーラがこれを強く否定したことで、何かと物議を醸してきた指導者のイメージがいかに悪くなっているかを示す証拠がまた1つ増えた。 米国が今週、イランに精製済みの石油を供給したとの理由でベネズエラの国営石油会社PDVSAを制裁対象にすると発表した後も、チャベス氏の率いるベネズエラ政府は予想通り、邪悪な帝国主義だと反発した。 しかし、同氏はこのところ、最も親しい友人たちからも避けられるようになりつつある。 親しい友人も背を向け始めた 諸外国の左翼の闘士たちは、ベネズエラの社会主義指導者であるチャベス氏に次第に批判的になっている。チャベス氏がリビアのムアマル・カダフィ大佐を非難するのを拒んだことや、左翼系反
中国などと並ぶ新興4カ国(BRICs)の一角として存在感を増すブラジル。2014年のサッカーワールドカップ(W杯)、16年のリオデジャネイロ夏季五輪と世界的なイベントを控え、建築ラッシュが続く中、大国への離陸を目前にした明るさが漂う。その一方で、現政権が続けてきたばらまき政策への懐疑も一部で広がりつつある。(リオデジャネイロ 松尾理也) ■夢が現実に リオ有数のファベーラ(スラム街)、ドナ・マルタ地区を訪ねた。08年に治安部隊を常駐させる試みが始まり、昨年には大統領自身が現地を訪問するなど、政権が進める貧困層対策の象徴ともいえる役割を担ってきた場所だ。 1000戸を超えるバラックが密集する同地区に25年にわたって住むマリアレーナ・バボーザさん(41)は、生活の変化を如実に感じている。 「これがなくては暮らしていけない」。大事そうに出してきたのは、ルラ政権の看板政策である貧困世帯への直接補助
バラク・オバマ米大統領が「この世で最も人気のある政治家」と評した人物が来週引退する。「ルラ」という短い呼び方で知られているブラジルのルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ大統領が、約80%という非常に高い支持率を維持したまま2期8年の任期を終えるのである。 このため、10月3日に行われるブラジル大統領選挙は将来への道しるべになると同時に、過去を祝福する機会となるだろう。大本命はルラ氏自らが後継者に選んだジルマ・ルセフ氏で、当選が確実視されている。 ルラ大統領はネルソン・マンデラ氏のように世界的な名声を得たわけではなく、現世の聖人と見なされているわけでもない。 しかし、ルラ氏とマンデラ氏の神話には共通点がある。ある個人が逆境を克服していく感動的な過程が1つの国家の目を見張る物語と融合し、1人の人間が国家全体の変容の力強いシンボルに転化したという点である。 国家全体の変容のシンボルとなったルラ大統
(2010年8月2日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 木立の間ではオウムが甲高く鳴き、色づきかけたマンゴーが枝からぶら下がっている。公邸の庭に置かれた籐いすに腰掛けた南米の外交官は、筆者がベネズエラを明快に分析しようとするのを大笑いしながら聞いている。 筆者は、評判が悪いが魅力的なベネズエラの首都カラカスを再訪していた。この地を訪れるのは久しぶりだ。ウゴ・チャベス氏が1998年の大統領選挙で初当選した時にこの街に住んでいたのだ。 だが、筆者の分析は「あまりに論理的すぎる」と、目の前の大使は言った。「ベネズエラという国は、第1に筋が通っていない。第2に機能していない。これまでもずっとそうだった」 これは不用心な発言であり、少しばかり公正さも欠いているが、一面の真理は突いている。 チャベス大統領は「自己陶酔的なレーニン主義」のレトリックを並べ、米国はベネズエラとキューバがつながっているという
サルバドール・ギジェルモ・アジェンデ・ゴスセンス(Salvador Guillermo Allende Gossens、1908年6月26日 - 1973年9月11日)は、チリの医師、社会主義政治家[1][2][3]。1970年から1973年まで同国大統領であった。 自由選挙による世界初のマルクス主義者の大統領であったが、政権下のチリは経済的失政やアメリカのリチャード・ニクソン政権による国外からの各種経済攪乱工作によって経済が混乱し、国内部の対立も激化した。最終的に1973年9月11日、ニクソン政権やCIAなどの支援を受けたアウグスト・ピノチェト陸軍総司令官率いる軍によるクーデター(チリ・クーデター)が発生し、その最中に大統領官邸(モネダ宮殿)で自殺した。 1908年に、チリの港町バルパライソにバスク系の移民の子孫として生まれる。父方にはフリーメーソン、世俗教育支持の血が流れており、189
日本でも高校生や中学生が母親になるという話を聞くことがありますが、アルゼンチンには17歳で7人も子どもがいる少女がいるそうです。年齢と子どもの数を見ると何歳のときに初めて子どもを生んだのか計算が合わなくなりそうですが、なぜ7人も子どもができたのか気になるところです。 詳細は以下より。 Argentine girl, 17, has 7 children 17 year old girl has 7 kids - Interesting : Photos, videos and fun アルゼンチン・コルドバ州にあるレオーネという街に住む少女が、男の子1人・女の子6人、合計7人の子どもを産んで育てているそうです。少女は14歳の時に初めて長男を出産し、続いて15歳の時に女の子の三つ子を出産、そして今年に入って更に女の子の三つ子を出産したとのこと。また、少女は流産の経験もあるそうです。 少女と子
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く