今は昔、中国には1966年から76年にかけて「文化大革命」(文革)と呼ばれる混乱があった。中国を知るには文革を理解するにしくはない。1945年以前に生れた方には説明の必要はないが、文革は中国共産党主席毛沢東の呼びかけで起きた「内乱」である。国家指導者が内乱を起すなど信じられないことだが、あれは本当だった。 毛沢東の権威をかさにきて暴れまわったた若者を「紅衛兵」、彼らとともに既存の行政組織を攻撃する連中を「造反派」、攻撃対象の党官僚を「当権派(実権派)」「走資派(ブルジョア)」、権力を奪うのを「奪権闘争」といった。 造反派は、国家主席劉少奇から庶民まで、毛沢東の意にそわない人物と見ると捕まえて拷問し投獄し殺し、一家を離散させた。最高級文化遺産から店の看板に至るまで叩き壊した。 彼らは例外なく派閥を作って権力を争い、殺しあった。その激しさは毛沢東をあきれさせるほどった。1967年から毛沢東は権