新型コロナウイルスに感染した認知症患者を受け入れている病院が、感染対策の徹底に苦慮している。病院内でマスクをしなかったり、徘徊(はいかい)などの症状が出たりすることがあるためだ。受け入れ病院の数がそもそも少なく、認知症の場合は感染が確認されても入院までに時間がかかるケースもある。支援者らからは行政による独自の支援策を求める声も上がる。 「血が出てしまうから点滴には触らないでくださいね」
![検証:コロナ受け入れ病院 認知症患者の対策、苦慮 徘徊、マスクせず… | 毎日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/5f567ae3ef4e97effa54aef1653f4cfb0cb3a046/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2021%2F02%2F07%2F20210207ddm001010089000p%2F0c10.jpg%3F1)
新型コロナウイルスに感染した認知症患者を受け入れている病院が、感染対策の徹底に苦慮している。病院内でマスクをしなかったり、徘徊(はいかい)などの症状が出たりすることがあるためだ。受け入れ病院の数がそもそも少なく、認知症の場合は感染が確認されても入院までに時間がかかるケースもある。支援者らからは行政による独自の支援策を求める声も上がる。 「血が出てしまうから点滴には触らないでくださいね」
ミャンマーの最大都市ヤンゴン中心部で6日、国軍のクーデターに対する大規模な抗議デモがあった。毎日新聞の現地助手によると、1500人前後が参加しており、クーデター後、最大のデモとなった。軍側は6日、国内のインターネットを遮断し、抗議活動の封じ込めに躍起になっている。 現地からの映像によると、デモ参加者は、アウンサンスーチー国家顧問率いる国民民主連盟(NLD)のシンボルカラーである赤いシャツやリボンを身につけ、「軍政を倒し、民主主義を勝利させよう」「スーチー氏を解放しろ」などと声を張り上げ、市内を練り歩いた。隣国タイの反体制デモで「反独裁」を象徴するポーズとなった3本指を立てる人や、僧侶らの姿も見られた。 ミャンマー軍政は、民主化運動を弾圧してきた過去がある。この日も治安部隊が多数配備されたが、デモ隊との衝突はなかった模様だ。
渡辺崇寿さんの遺書のコピー。「刑事になれてよかった」とつづられていた=熊本市で1月29日、樋口岳大撮影 熊本県警が2020年11月まで、警察署の当直勤務を労働時間から除外する運用をしていたことが、県警への取材で明らかになった。当直勤務中も事件事故などに対応するが、県警は国が「ほとんど労働する必要のない勤務」に限り労働時間に算入しないことを認めている「断続的労働」とみなしていた。長時間労働の末に17年に自殺した県警玉名署巡査の死を巡り、地方公務員災害補償基金が認定した時間外労働と同署の算定に最大月約50時間の開きがあることも判明した。 死亡した渡辺崇寿(たかとし)さん(当時24歳)は12年に高校卒業後、警察官となり、玉名署に配属。17年4月に刑事課に配属されたが、同9月11日、命を絶った。
女性を蔑視した3日の発言を巡る釈明記者会見で辞任を否定した森喜朗会長は5日、毎日新聞の取材に応じ、「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めたが、武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」と、会見に至った経緯や舞台裏を明かした。毎日新聞が4日午前に「辞任の可能性に言及」とウェブで速報したことを受け、組織委幹部らが突然のトップ不在による大会運営の混乱を回避するため、慌ただしく動いたようだ。 4日午前11時過ぎ、森会長が到着した東京・晴海にある大会組織委員会事務局は張り詰めた空気だった。深刻な表情で武藤事務総長が言った。「会長、(辞任は)いけません」。毎日新聞のウェブ速報は午前10時5分に流れていた。「辞めるとまでは語っていなかったのだが、組織委の幹部らはそう受け取ったんでしょう。ただ実のところ、辞めようと腹をくくっていました。私の軽率な発言で海外にまで波紋を広げた問題が、身を
新型コロナウイルスをめぐり、東京都内の高齢者施設で感染して亡くなった人が1月下旬以降に急増している。今月5日までの1週間に死亡が確認されたのは38人で全体の3割近くを占め、病院での感染による死者数を超えた。施設でクラスター(感染者集団)などが相次ぎ、感染者が増えたことが原因とみられる。施設で感染しても入院できずにそのまま死亡するケースもあり、感染対策の徹底が課題となっている。 1月下旬以降は施設の伸びが目立つ 東京都が明らかにした資料をもとに、「第3波」が深刻化した昨年12月から今月5日までの死者のデータを毎日新聞が分析した。 確認された死者数は507人で、男女別では男性309人、女性198人だった。月別にみると、12月は138人だったが1月には259人と急増し、2月は5日間だけで110人に達した。年代別では70歳以上が87・6%を占める一方、30代で2人、40代で7人と比較的若い年代の死
男女平等への支持を発信するドイツ大使館のツイート。掲げられた手は支持とともに発言を求める姿勢を象徴するという=同大使館のツイッターから 「#男女平等」「#dontbesilent(沈黙しないで)」――。日本にある欧州諸国の大使館や欧州連合(EU)代表部、国連のアカウントなどが5日、相次いでこんなハッシュタグを付けてツイートした。前日には、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと女性を蔑視する発言について撤回し、謝罪する記者会見を行っている。各ツイートに森氏の発言への言及はないが、多数の賛成、反対のリプライは、発言を受けた動きと受け止めているようだ。大使館関係者にも意見を聞いてみた。【和田浩明/統合デジタル取材センター】 ドイツ大使館が先陣 一連のツイートを発信したのはドイツ、フィンランド、スウェーデン、アイルランド、ポ
東京・中野。東京警察病院敷地内の北西角地の木々で覆われたわずかな空間に「陸軍中野学校趾(し)」碑は人目を避けるように建っていた。この地に、かつて諜報(ちょうほう)、防諜、謀略、そして遊撃戦を専門とする秘密戦士養成の陸軍学校があった。 白髪の男は手押し車を脇にどかし、身の丈ほどの石碑に手を差し出した。口調を改めるように言った。「参りました」。元陸軍大尉、牟田照雄氏である。この1月で99歳を迎えた。 日中戦争が始まった翌1938(昭和13)年7月に後方勤務要員養成所として開校した中野学校は、敗戦までのおよそ7年間に、戦争末期に併設された二俣分校(浜松市)を含めて2170人の卒業生を送り出した。牟田氏は44年1月、中野本校に入校し8カ月間教育を受けたのち北海道で終戦を迎えた。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く