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ブックマーク / tamesue.cocolog-nifty.com (6)

  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:なぜ天才はクレイジーに見えるのか

    天才と言われる人を見たり話を聞いて、違和感というか普通と違うものを感じる事は無いでしょうか。狂気というと大げさかもしれませんが、何か根幹が普通じゃないという違和感です。 もちろん普通と違う才能を持っている訳ですから、普通と違って当然でそれがこちらから見てクレイジーに見えてるのかもしれませんが、私なりに一つ理由を挙げてみたいと思います。天才の定義は僕にもはっきり説明できないので、一応何かに秀でた才能を持った人というぐらいの括りで考えてください。 人は、いくつかの欲を持って生きています。例えば物を欲しがったり、人に褒められたかったり、異性にもてたかったり。それからこれも欲の一つでしょうけど、人生で大事にしてきた自分のプリンシブルみたいなものもあります。勇ましくいたいとか、素直でいたいとか、賢くありたいとか、です。 人はこういったいろんな軸、欲を持っている為に物事を決定する時に悩みます。何か

  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:12人の怒れる男

    昔、『12人の怒れる男』という映画を見ました。一人の少年の裁判に集められた陪審員達が、無罪か有罪かに決定を下す、密室での議論だけに焦点を絞った映画です。11人が有罪という中、一人の男性が無罪を主張し(実際には空気だけで決まる有罪に待ったをかける)その後議論が展開していくという話で、僕は何かこの映画にすごく感銘を受けてそれ以来ことあるごとにこの映画を思い出します。 Twitterを始めてから、よく私は人に反論、批判を受けるようになりました。もちろん有意義な意見もあるのですが意地悪なのも結構あります。私は流れができそうになった時、敢えてそれを止める癖があります。それには主流の流れが加速する事の恐れ、流れが決断を下す事への恐れがあるからですが、それが人を怒らせるようです。 私自身もそうですが、人はどうしても思い込みや偏見から逃れられません。生まれてきた環境、教育や経験が重なるとどうしても、反射的

    taketomato
    taketomato 2011/12/21
    「流れ」に流されないように気をつけたい。 侍ハードラー 12人の怒れる男
  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:練習の辛さと、練習効果の関係について

    練習が辛い事と、練習効果があるかどうかは、関係がない。とツイッターで呟いた所、反響が大きく、また説明してほしいという意見も多かったので少し説明します。 まず、練習効果がある=競技力向上と定義して話を進めます。次から書く三つの理由から、辛い練習が練習効果が高いわけではない事を説明します。 『辛さは負荷の強さではない』 辛い思いとはどういう時に感じるでしょうか。例えば、量的に多いもの、たくさんやれば確かにしんどいです。次に瞬間的負荷がかかるもの、瞬間とはいえ苦しい思いをするのは辛いです。だいたいこの二つに分けられると思いますが、では実際に競技やっている瞬間はどうでしょうか。 例えば100m。おそらくほとんどの選手が、練習よりは試合の方が楽というでしょう。 すごく簡単にいって負荷が強い=練習効果が高いとみなしていいと思います。100m選手にとっての強い負荷とは、試合での全力疾走に他なりません

  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:日本の精神論

    精神論という言葉が、スポーツの世界でよく聞かれます。モチベーションやビジョンが大切なものであるのは間違いないとは思いますが、日でいう所謂精神論というのはどちらかというと思考を止めて全部を精神のせいにしてしまうようなニュアンスを含んでいます。 ロンドン五輪に向け、USAチームが2泊3日の合宿を行ったそうです。場所はラスベガス、メンバーはロンドン五輪でメダル獲得が期待されるアスリートだけ。練習は一切ありません。夜はカジノでルーレットだそうです。 さてはてべガスでいったい何をやったかと言いますと、 1、USAT&Fチームがどんな目標を掲げどんな戦略で挑もうとしているかの共有 2、過去に成績を上げた選手達のヒストリーと体験の共有 3、五輪までの戦略についてのワークショップ、および各々の戦略の共有作業 4、五輪を迎えるにあたって引っかかりそうな落とし穴、過去の失敗例の共有 5、メンタルト

    taketomato
    taketomato 2011/11/14
    侍ハードラー 日本の精神論
  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:絶対化について

    人がよくはまりやすい思考に絶対化というものがあります。私はとにかく若い時にこればっかりでした。絶対化と名付けたのは私なので説明しますと、絶対化とは要は何かが絶対的なものに見える思考の癖の事と思ってください。 最近あった例をいくつかのパターンで出してみましょう。 天才の絶対化 1、天才とは天才であるから何人にも彼を止める事はできない存在である 2、であるが故にもし何かで止まるような事がその人は天才ではなかった 3、つまり、成功したものの中にのみ天才は存在する。 気持ちの絶対化 1、物事は全て気持ちの持ちようで決まっている 2、故に結果が出なかった場合は気持ちが入っていない 3、つまり結果が出ない場合を突き詰めると、全ては気持ちに原因がある 憲法の絶対化 1、憲法は絶対に正しい 2、憲法は正しいから、もし現実とずれてるとすれば現実の方が間違えている 3、だから現実や解釈を憲

  • @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:事業は手段か目的か

    事業と言いますと企業体の事を想像しますが、仕事をする事、何かに貢献する事などを指してもおります。ことわざ、とでも読めばわかりやすいでしょうか。 スティーブジョブズの人生を勉強しながら思いましたのは、これまでに財を成した人や権力を握った人、世にインパクトを与えた人は多くても、人を感動させたり世の中に思想を残す人は少ないと思いました。生き方にある種の信念や崇高さを感じる人と、何処までのぼってもそれを感じない人の差です。 英雄とは何かカリスマとは何か。もっと言えば人に感動を与える存在とは何なのか、でありましょうか。私が思うに、感動をさせる人には以下の二つが在るような気がします。 1、実現したい世界がある 2、言動と行動がそこに集約している 1がなければ2もありません。1が無ければその人がやっている事の先に未来が見えない。未来が見えないから夢も無い。夢が無いから共感できない。 多くの場合、手段

    taketomato
    taketomato 2011/10/13
    会社も政治も競技も所詮は手段である。目的は社会を変える事だ。 「侍ハードラー」:事業は手段か目的か
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