真理の最上のテストは、市場の競争において自らを受け入れさせる思想の力である ホームズ裁判官 「真理」という言葉を使うのには違和感があるし(「妥当性」とかならまだいいのだが)、いろいろ疑念のある見解ではあるが、考え方はこんにちでも妥当である(*1 吉田p360)。 人々が自由に意見を交換しあい(すなわち主張と反論を繰り返し)、各々の言論の妥当性を追及するというのは望ましいことであり、それを実現するのが言論の自由の役割である。 ネットでのつまらない話 − 言及記事への言及(前記事へのトラックバック) リンクは単に、言及する者とされる者の二者だけの問題ではない。 「読者に便宜をはかる」と言うように、不特定の人を呼び込むものである。 それは時に数の力を生み、多数派ではない意見をひねり潰したり、ターゲットとされた人の言論の自由を奪ったりもする。 こうして言論の多様性を損なわれることは、「言論の自由」
![2007-11-24](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)