ブックマーク / kame710.hatenablog.com (8)

  • 2020.10.26 写真はおもしろい - カメキチの目

    写真は、やっぱり おもしろい。 家の窓から見た夏の夕焼け。 同じく 家の窓から眺めたお月さん。我ながらうまく写っていてビックリ! (並みのデジカメの望遠機能で《天体望遠鏡は使っていません》)。 8月の暑い最中、県内のレジャー施設(山の頂上)に出かけた。 風が吹くと、たくさんのガラスの風鈴がいっせいに鳴り響き、地元特産の織物による幟がいっせいになびくのが、とても心地よかった。 上 青春 (いいなー、少年!) 中 ひっそりボール (練習で転がったか?フェンス越のホームランか?) 下 バッターと照明ボール 「グワーッ」顔に見えた。 (人の背丈ほどに伐られた株からイチョウのイチョウ。4腕の先には見事な葉) 夜の冷え込みでできた朝露がクモの巣にあった。 これは落しものです(図書館へ行く道の橋の新装なった欄干に置いてあった)。 片方だけ(耳からなら気づきそうなものだが…?) 〈オマケ〉すねる2歳。

    2020.10.26 写真はおもしろい - カメキチの目
  • 2020.10.13 「もう、乗り遅れても良いだろう。」  - カメキチの目

    久留米じぃじさんという敬愛している方のブログがあります。 先日の記事に 「もう、乗り遅れても良いだろう。」 というのがありました。 このタイトルをひと目見るなりクスッとしました。 (じぃじさん、同じ題名を使ってゴメンなさい) 久留米じぃじさんは身のまわりのことを中心に、感じ、思い、考えたりされたこと 毎日書いておられ、文章の温かさにお人柄がとてもよく感じられます。 (ほぼ必ず「家人」という呼び名でご夫人が登場される)。 たまたま初め頃からの読者であるので、タイトルがちょっと抽象的でも、きょうは こういうことを言わんとされているのかなと想像したらおおかた当たっていました noritomi294.hatenablog.jp ーーーーーーーーーー 乗る相手は「バス」でなく、「時代の波」。 バスなら乗らない手もあり、歩けばいい。 (よけいな話だけど、かつてヒトにもサルと同様、尻尾があったのに使わな

    2020.10.13 「もう、乗り遅れても良いだろう。」  - カメキチの目
  • 2020.9.18 お金とは?(エンデ)〈前〉 - カメキチの目

    『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』  河邑厚法徳+グループ現代 という新書を読んだ。 「お金」。 社会に必要とされる限り、つき合わされるモノ。 「モノ」だけど、神さまのようだ。 多く持つほど、「金持ち」になるほど幸せになる 気がする。 (そうだとしても 私も金持ちになりたい。でも「大金持ち」でなくていい)。 お金の持つ「物神性」にダマされないためには、 お金質を考え、根源的にとらえるほかない。 そうしないと人間らしい豊かな生き方はできない、 とエンデは、深く考えていたと知りおどろいた。 エンデは、子どもに「お金、流通のような抽象的なむずかしいことがわかる わけがない」と大人の言いそうなことに反し、理屈はまだわからなくても、 彼らが『モモ』の世界、おもしろさを感じることを通し、自分の思いは直感的に 伝わると信じていたのではなかろうか。 それにこんなことも思った。 ずっと前の記事に、

    2020.9.18 お金とは?(エンデ)〈前〉 - カメキチの目
  • 2020.8.28 『若者よ、マルクスを読もう』 - カメキチの目

    ビックリするような科学の発達で、次から次へと 生活を便利・快適にする技術が生まれ、商品として 出まわり溢れかえっている。 それらの多くは壊れにくく、土などには還りにくいので、溢れすぎ、いまや地球の あちこちで悪さをし問題を起こしている(廃プラだけでなく、原発事故で明らかに なった多くの問題、なかでも「廃炉」に要する年月と費用・エネルギーなんかバカ みたい) ホント、私が子どものころの60年ほどの昔には これほどのモノはなかった。 こういう現代社会の、人間が生きるとは?と 問わざるを得ない根源的な状況のなかで、大きくは 人間を労働者階級と資家階級ということで二分し、 敵対関係という矛盾を、現在の資主義から未来の 社会主義に変えることで解決するという(大雑把ないい方で ゴメンなさい)「マルクス主義」はもはや無意味になった のだろか? それに、 ↓ 「東西冷戦終結」以前は世界中の人々に影響を

    2020.8.28 『若者よ、マルクスを読もう』 - カメキチの目
  • 2020.8.11 家族 - カメキチの目

    「折々のことば」(朝日新聞)は、臨床という医学が 身近なところで(広い意味で)役立っているように、 哲学もそうあらねばとの願いをこめ、 「臨床哲学」を提唱される鷲田清一さんの 短い連載コラムだ。 ジャンルを問わずいろんなところで発見した(鷲田さんの)心にピンと響いた 寸鉄のような言葉が紹介される。 先日、どうしても紹介したいというのがあった。 【引用】 親になるとは、許されることを学ぶことなのだ。 (三砂〈みさご〉ちづる) (鷲田さんの言葉) 親はよくまちがう。 よかれと思ってしたことが子どもを傷つけた、痛めつけていたと悔やむことが 当によくある。 だから欠点だらけの「私」を許してほしいと祈るような思いでいると、 保健学者(三砂ちづる)は言う。 子どもから許しを得ることで、自分の親も「まちがいだらけで欠点だらけの ただの男と女だった」と許せるようになると。 (三砂ちづるさんの)『自分と他

    2020.8.11 家族 - カメキチの目
  • 2020.8.14 『それからの納棺夫日記』 - カメキチの目

    『それからの納棺夫日記』  青木新門 著(2014年) というを読んだ。 映画『おくりびと』(2008年)の原作(『納棺夫日記』1996年)の続編みたいな 書名ですが、『納棺夫日記』で著者がいちばん伝えたかった宗教の心が映画では 描かれなかったので、映画から6年目にして(『納棺夫日記』からは18年目) あらためて著者が述べたかったこと、宗教心を持つことが人生においてどれほど だいじかを(僧侶ではないがもっとも近いところで死をみる死を扱う者として) 伝えたくて執筆されたもの。 のはじめに(上述のようなこととともに)映画の主役を演じた木雅弘さんを 褒めたたえる言葉が書かれてありました。 (「伊右衛門」茶のCMのあの人。新たな木ファンになった) そもそも『おくりびと』は『納棺夫日記』を早くに読んで感動し、ぜひとも映画化 したいとの木さんの発案から始まったとのこと。 彼は富山在住の青木新

    2020.8.14 『それからの納棺夫日記』 - カメキチの目
  • 2020.8.4 梅雨の散歩道 - カメキチの目

    こんなに長かったかな?と感じざるを得ないほどの 今年の梅雨だった。 ホント、長かった… はじめにオマケ写真(まだ梅雨に突入する前のもの) またオマケ(まだ陽光がバラをこんなに照らしてくれ、ちょっと写真家を気どった) (ここからは梅雨) 白い蝶が白い花にとまっていた。 もちろん、穴がおもしろくて 撮ったのですが、よく見ると他にも小さな穴があいて いました。なんで穴はできたのか?なんでこの葉っぱだけ赤いのか? 人の手の血管みたいな葉脈、へりのギザギザもおもしろい。 題して「コロナの梅雨」。 道のど真ん中、路傍、原っぱにも。どこであろうとマスクが捨てられている。 3月までまったく見られなかった光景。 いまじゃ、3、40分の散歩の間に数枚は必ず発見する。 「雨後のキノコ」。 何かの蔓の水滴が見事でレンズを向けました。するとその水滴に向こうの景色、 茶色のマンションが映っていたのが写っていました。

    2020.8.4 梅雨の散歩道 - カメキチの目
  • 2020.7.21 「ジャパニ」 - カメキチの目

    カメキチの目 NHKBS-1スペシャル『ジャパニ~ネパール出稼ぎ村の子どもたち』という番組 を視た。 このドキュメンタリーはネットでたくさん紹介されていますが、 グーグル検索のはじめの方にあったのをコピペで引用します。 【引用】 改正入管法が施行されて一年、日各地で隣人として 増え続ける外国人労働者たち。 彼らはどんな人生を背負い遠い異国の地で暮らしているのか? 来日して12年になるネパール出身の映像作家が母国と日を 何度も往復しながら見つめた移民家族のドキュメンタリー。 夫はカレー屋のコック、はホテルのベッドメイキング。 池袋の狭いアパートに住む夫婦の故郷は、ネパール西部、 ヒマラヤ山脈を臨む美しい村。 ガルコットと呼ばれるその地方は、働き手の半数以上が 日へ渡り、急速に過疎化が進んでいる。 現地では、日へ渡った両親やその子供のことを「ジャパニ」 と呼ぶ。ネパール語で、「メイド

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