ナビスコ杯で今季初先発を果たした平山は、2011年に負った重傷により、2年間本来の力を発揮できずにいた 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】 FC東京の大熊清テクニカルダイレクターは「2010年は7得点を挙げて(復活の)兆しがあった」と言う。当時監督だった大熊は、J2に降格した東京の中軸に平山相太を据えることを決めた。迎えた11年シーズン、東日本大震災が列島を襲い、開幕の1試合を消化したのみでリーグ戦が中断。さあこれからという4月11日に、平山は栃木SCとの練習試合で思いきりゴール前に突っ込んでいき、相手選手と交錯し、右脛骨および腓骨骨折の重傷を負った。この負傷はチームにとっても計算外だった。ロベルト・セザーとペドロ・ジュニオールも想定していた力を発揮できず、もともと故障しがちだった高松大樹も5月14日の対ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)戦で負傷。長身のフォワードが不在となり、東京は大混乱に
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