御給仕できてますか? 正宗仏壇の法布堂様HPよりお写真を拝借いたしました。 今回は、「御本尊様へのお給仕」、特にお水・お仏飯・三具足〔華(樒)・燈明・香〕についてお話し致します。 【お給仕の心構え】 勤行の仕方、御本尊の安置の方法や仏前での振る 舞い等を化儀(けぎ)といいます。 これは、日蓮正宗では昔から「化儀即化法(けほう)」「化儀即仏法」「化儀即法体」といわれてきてますように、決して単なる作法・形式ではありません。 所作に伴う化法(法義)が必ずあり、大聖人様の御法門を日々の所作や振る舞いの中に具現させる「行体布教」の要が化儀だからです。 また、 「行体行儀は是れ信心の表現なり」 (有師化儀抄註解 富要集1巻 130頁) 「当宗は第一化儀なり……第一化儀とは当宗は化儀即仏法なるが故に謗法宗の化儀に同ずべからざるなり。若し謗法に同せば与同罪なるべし」 (有師物語聴聞抄佳跡上 富要集1巻 1
数年前にとある法華講の御老人から御山にて、現在の顕正会、東京妙信講の成立について面白い話を聞いたのでそれを書きたいと思う。 まずは東京妙信講発足には二つの矛盾した記述がある。 冨士271号「御唯命守護の戦い」によると 「(東京)妙信講の創立は太平洋戦争たけなわの昭和17年であった。」 と書いてある。 しかし富士78号には石原康一さんの名で 「(東京)妙信講の誕生は昭和16年8月、当時僅か十五世帯を率いられた講頭先生の手によって進軍が開始された」 この一年の違いについて考察する。 実は私が会った御老人によると、東京妙信講は信仰による大東亜戦争への宣揚が目的で作られたという話である。 昭和16年8月といえば、日米戦争への足音が聞こえた来る時期である。 浅井甚兵衛東京妙信講初代講頭はかなりの戦争翼賛意識が強かったようである。 まあ当時の世相を考えたらとびぬけて突飛とは言えないであろうが。 その萌
(底本:『日淳上人全集・上巻』p.98) 解題: 後の日蓮正宗・第六十五世御法主上人であられる、日淳上人猊下の、ご登座のはるか前の論文です。 この論文の中で、【危篤な状態】【危篤な時期】とあるのは、せんじ詰めるところは、日本が満蒙開拓という大義名分のもと、植民地政策の拡大にずるずると引きずり込まれていく中で、太平洋戦争に向けた日米の対立が深刻化してきたことにあります。 この掲載文は原文そのままではわかりにくいので表現を緩和してあります。 (解題ここまで) 内閣審議会ができて重要国策を俎上に載せる体制が整うことになった。世間的には、これについて受け入れるべき・受け入れざるべきの二論がある。けれども、私心を離れて国家の現状を察するとき、何人といへども、かくのごとき組織の設置が当然であると考えられるであろうと思ふ。 まったく今日の状態については、一切の国家機構がことごとく是正・更新されなければな
差別ってなんでしょうか? 対話の続き。相手は音信不通ですが。 今日は、④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」について、日蓮正宗の相伝も含めて回答したいと思います。 7項目全質問は以下の通り。 宗門はこのように主張しています。 ①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」 ②「代々の法主を尊信の対象としての(我々が南無し奉る日蓮大聖人・日興上人と同等の)僧宝として定める」 ③「弘安2年10月12日の御本尊を日蓮大聖人の出世の本懐・一大秘法と定める」 ④「僧と俗の間には本来的な差別が存在する」 ⑤「御本尊には法主の許可、開眼が必要、大石寺から下付したものでなければならない」 ⑥「大石寺に登山しないと罪障消滅できない、成仏できない」 ⑦「宗門の僧による葬儀を行い、戒名を与えないと故人は地獄に堕ちる」 日蓮大聖人はこのようなことをただの一つも仰せになっていません
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