大衆は話術士が大好きですが・・・ 信心をしていない人でも、話が上手く話術に勝れている人がいます。末法時代には、邪な能力が勝れ邪智に秀でた人が生まれるときです。邪智に長けている人は、信心から見た場合、「三類の強敵」や「第六天の魔王の眷属」、「悪鬼入其身」した人が、邪智に満ちた話術に長けている人に当てはまります。 日蓮正宗の信心でいう折伏は、邪智に依る話術を振りかざすものではありません。御本尊様から功徳を頂き「六根清浄」となる、身口意の三業の上から話術を磨いていきます。邪な自分自身の立場を正当化するために弁護をするような、浅はかな話術を身に付けるものではありません。邪智に勝れた話術を身に付けている人は、大概、自己保身のためや名聞名利を磨くものであります。日蓮正宗における話術は、「慈悲心」が根底にあります。 折伏で話術が磨かれるということは、話し上手になることであり、人見知りをする人や対人恐怖症