片田舎の公立進学校が、初の甲子園出場を決めた。 野球より学業が優先され、練習時間は極端に短い。 当初、惨敗を重ね続けた弱小チームは、いかにして 遠い夢だった大舞台への切符をつかんだのか。 東京大学硬式野球部の四番に座っていた高山久成は、目を疑った。 昨年の10月初旬。母校・宮崎西高の野球部監督、兒玉(こだま)正剛(タイトル写真右)からのメールに「今、秋季県大会の準決勝です」という一文があったからだ。 西高が県大会でベスト4――? 高山にとって、それは既に「とんでもない快進撃」だった。 県内屈指の進学校である県立宮崎西高は、部活動も活発だ。だが、野球部が県大会でこれほどの上位に入ったことはない。 「全校集会で放送部や水泳部なんかはよく表彰されてたけど、僕らは全然ステージに上がれなくて。正直、存在感は薄かった」 高山がそう回想する西高野球部の快進撃はさらに続き、ついに創部36年目にして初の甲子