トルコ人が忘れない120年前の出来事(2/5) その輝かしい親善の、帰国途中での大惨事である。 このとき、大島の人々はすぐさま、島をあげて、不眠不休の救出活動を開始した。生存者の救護、行方不明者の捜索――島の男たちは、怪我人の血を海水で洗い、兵児帯(へこおび)で包帯し、痛さに泣きわめくトルコの人たちを一人ずつ背負って、約60メートルの断崖(だんがい)をよじのぼり、決死の、それも無我夢中の救出作業を行った。 ○官民挙げての救出活動と支援 助け出されたトルコ人は全員で69名。救助の甲斐なく亡くなった人は587名を数えた。この惨事は、すぐさま日本中に新聞のニュースとして伝えられたが、これを知った当時の日本人は皆、わがことのように涙した。 明治政府の反応もすばやく、すぐさま軍艦「八重山」を急行させ、亡くなった人たちの葬儀と埋葬をおこない、同年10月には生存者を無事に帰国させるべく、彼らを軍艦