ブックマーク / business.nikkei.com (5)

  • 陸上自衛隊トップ、辞任覚悟の出動命令

    2011年3月11日、午後2時46分。三陸沖を震源とする大地震が日を襲いました。死者約1万6000人、負傷者約6000人、行方不明者約2600人(2011年9月11日時点)に及ぶ大惨事に発展した。 こうした中、自衛隊は「10万人体制」を展開。約1万9000人を救助しました。救助された約2万8000人(2011年3月20日時点)の7割に相当します。これは、自衛隊が発災から72時間で3万人近い部隊を現地に集めたことが効を奏したから。その背後には、火箱さんが辞任を覚悟で決めた「即動」が大きな役割を果たしました。 火箱:当時、私は陸上自衛隊(以下、陸自)で幕僚長(以下、陸幕長)*を務めていました。救助部隊を少しでも早く現場に急行させるため各部隊に出動を命じました。災害に遭った人の生存確率が高いのは発生から72時間と言われています。危機的瞬間には手続きの万全さより迅速・実効性ある行動が勝ると思い、

    陸上自衛隊トップ、辞任覚悟の出動命令
    tamanekosan
    tamanekosan 2018/03/09
    とても重い決断をされ、それによって多くの人が救われた。問題は個人にあるのではなく、緊急出動時にいつまでも個人の資質と決断に頼っていること。やはり三万人を動員できる力には明文化された法律が必要だ。
  • 中国のおしゃれ書店ブームと言論の死:日経ビジネスオンライン

    中国のおしゃれ書店ブームと言論の死:日経ビジネスオンライン
    tamanekosan
    tamanekosan 2018/01/16
    “書店の棚から中国の抱える社会問題を扱う本が消えるということはすなわち、「書店に来る人間が、書店に来ない人間のことを考えなくなる」ということに他ならない”
  • 図書館よ永遠なれ

    スタジアムでサッカーを見る楽しさの半分以上は、サッカーそのものとは別のところにある。 観戦の醍醐味について述べるなら、ディフェンスラインの駆け引きや、サイドチェンジのパスの軌跡が、スタジアムの座席からでないと真価の見えにくい技巧である一方で、ドリブル突破の際の細かいステップワークや密集の中での選手同士のボディコンタクトの詳細は、テレビ画面を通してでないと把握できない。それゆえ、競技としてのサッカーの全貌をあますところなく堪能するためには、スタジアムでゲームをひと通り見た後に、帰宅後、あらためて録画を確認する必要がある。 ただ、競技としてのサッカーを観戦することとは別に、スタジアムには、「共同性」の魔法がある。 別の言い方で言えば、大勢の人間と同じ場所で同じ偶発事件を注視する共同体験の一回性が、半ば群棲動物であるわれわれを陶酔させるということだ。 同じプレーに歓声をあげ、得点に跳び上がり、パ

    図書館よ永遠なれ
  • 「なめんな」と言われる立場になってみよ

    神奈川県小田原市で、生活保護を担当する職員らが、「保護なめんな」などとプリントされた揃いのジャンパーを着用して、生活保護家庭を訪問していたことがわかった(こちら)。 わかりにくいニュースだ。 「何を言うんだ。わかりやすいニュースじゃないか」 と思った人もいることだろう。 が、このニュースは、受け止める側の考え方次第で、様々な読み取り方が可能なところが眼目で、その意味では、むしろ、わかりやす過ぎると言うべきなのかもしれない。 まず、見出しを見るなり、 「なんという非道な仕打ちだろうか」 と、そう思った人がいるはずだ。 そういう人たちにとって、このニュースは、市職員による生活保護家庭への非道な仕打ちと受けとめるほかに、解釈の余地のない、大変に「わかりやすい」ニュースだったことになる。 けれども、反対側には 「保護なめんなのどこがいけないんだ?」 と思っている人々がいる。 揃いのジャンパーを作っ

    「なめんな」と言われる立場になってみよ
    tamanekosan
    tamanekosan 2017/01/22
    行政の職員が社会的な身分や格差の構造や差別に関心を払うことなく、目先の課題だけを自分の仕事ととらえるとこのような事態となる。自分のノルマのために救われるべきよい市民とわるい市民を選別するようになる。
  • 「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決

    国憲法が揺らいでいる。憲法解釈を大きく変更した安保法が国会で成立し、自民党はさらに改憲を目指す。その根底にあるのが「押しつけ憲法論」だ。だが日国憲法がこれまで70年間、この国の屋台骨として国民生活を営々と守り続けてきたのも事実である。この連載では戦後70年、日国憲法が果たしてきた役割、その価値を改めて考えたい。 第1回は日国憲法がひとりの女性を救った物語である。 栃木県某市。その地域のことをどう表現すればいいのか、戸惑う。ちょっとした幹線道路と小さな道路に区切られた一角に団地が建ち並ぶ。辺りには民家と田んぼしかない。表現の手掛かりになるような特徴がなく、ぬるっと手から滑り落ちそうなところ。そんな地域が、日憲法史上に特筆される裁判の舞台となった。 裁判の名前を「尊属殺重罰事件」という。日で初めて最高裁判所が法令違憲の判決を下した事件といわれている。 事件は47年前の1968(昭

    「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決
    tamanekosan
    tamanekosan 2016/03/16
    自分の人生をかけた事件を「辛いことを思い出すから自分ごと忘れてしまいなさい」と伝えたというエピソードからもお人柄が伺える。しかし社会とはこの被告のような被害者を何人も産み出さないと進まないものなのか。
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