友達いないらしい彼女。 時々、頼むから友達作ってくれって思う。 暇だからと自分にばっか依存されても重いんだよ。 構ってたら自分のやりたいこともできやしない。
赤木さんと杉田さんとの論争に某お兄様がコメントを寄せていて、以下は元の論争というよりは、お兄様のコメントへのコメント。 弱者問題でいえば、「やる気がない」とか「努力が足りない」と弱者の内面を探ることと、弱者が貧困に苦しんでいる現状とは、きっちり分けて考えたほうがいいと思います。そうしないと、弱者に貧困をもたらしている社会的な原因(政策や政治家の愚)が、弱者の内面の問題を指摘する、すなわち「あいつが貧乏なのは、自分がいけないからなんだ」ということで、ほんとうの責任の所在があいまいになってしまう可能性があるでしょう。 そうなると、弱者の内面の問題が自己責任の問題として為政者に利用され、自己責任なんだから政策や政治家は悪くない、というネオリベ的な弱者排除の発想につながっていくような気がしてなりません。 きっちり分けて考えるのはある意味では良いのだけれど、あんまりきれいに分けると貧困だけでなく「や
どうやら週明けの会議で、何も現場の状況をわかっていない専門家と、表面を取り繕うだけで何もしない現場の人々と、苛立つ利用者家族に取り囲まれて、自分は血祭りにあげられるようだ。この顔ぶれでは何も言えない。何か言ったら、この先の仕事は円滑に進まない。ただひたすら自分の不徳のいたすところと謝って、おっしゃるとおりですと、うなずかなければならない。これまでの努力はすべて否定されるが、それにも決して反論をしてはいけない。既にわかりきった技術論をはじめて聞くかのような顔で聞き、こんなふうにすればよいのですね、と納得してみせなければならない。何もわかっていない専門家ができるはずのない提案をして、建前で話をする現場の者が「そうしましょう」と言うだけで全くそうするつもりはなくても、うまく話がまとまったようなフリをするのだ。その後、何ひとつ状況が変わらないとき、利用者家族や専門家から激しく責められるのは自分であ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く