タグ

historyと倫理に関するtamaotのブックマーク (2)

  • 歴史の教訓とすべき人類史の悲劇が大袈裟な罵倒と解釈されてしまう件 - 非行型愚夫の雑記

    ナチスの思想である民族社会主義がどういう思想であったかを非常に大雑把に述べると、それは「ドイツ民族、それも優秀なドイツ民族の繁栄」を世界のための崇高な目的とし人道性より優先する思想でした。 そして、その思想に基づいての合理的判断による人権侵害は同民族にまで及び、精神障害者や知的障害者は排除対象とされました。 そのように「ドイツ民族の繁栄」を人道性より優先した結果、下記引用文のようなことがなされたのです。 ユダヤ人に関する措置 ポーランドに進駐した特別出動部隊に対する一九三九年九月二一日付のハイドリヒの速達は、占領地域のユダヤ人に関して「計画している全措置、したがって最終目標を極秘にする」としていた。最終目標のために「まずやるべきこと」は、田舎から比較的大きな都市へのユダヤ人の集中であった。 ずべてのユダヤ人共同体に長老評議会を作らせ、移住に関し「全責任」をとらせて、移住命令に従わない者は「

    歴史の教訓とすべき人類史の悲劇が大袈裟な罵倒と解釈されてしまう件 - 非行型愚夫の雑記
  • 「落書き」は文化を破壊しているか? - 過ぎ去ろうとしない過去

    もし例の大聖堂の落書きが、50年前に長嶋茂雄が書いたものであれば、みんなもっとほほえましいエピソードとして扱ったのではないか。「見てください、壁にたくさん落書きがありますね。おや、こんなところにミスターのも。というわけで正解は、『マジックを売る』でした」 たとえば我々は21世紀のフィレンツェの大聖堂においてなされる落書きをノイズとして拒否するのに対して、1世紀のポンペイの街並みにある落書きは、「生き生きとした庶民感情の発露」として受け入れる。でも、もちろん1世紀の時点において、ポンペイの落書きが「生き生きと」したものとみなされていたわけではない。それは、2000年を経過した我々の視点から見る限りにおいて「生き生きと」したものとして認識される。 とはいえ、ポンペイの「生き生きとした庶民感情の発露」は2000年かけて、火山灰の中でだんだんと醸成されていったものではない。むしろ、あらかじめそこに

    「落書き」は文化を破壊しているか? - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 1