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movieとマンガに関するtamaotのブックマーク (2)

  • 実写版ドラゴンボールに関する誤解をとく試み - 絶叫機械+絶望中止

    ■呪いをといてしんぜよう。 ドラゴンボール実写版、各所で批判やらなにやらが渦巻いているので、ここらで憑き物おとしをしてみようと思う。 なぜ、実写版はあんなことになってしまったのか?簡単だ、実写版のスタッフは、ものすごくまじめに日のファンのために、実写版を作ったからだ。ここで怒る方もいるだろう、ハァ?何言ってんの?悟空は高校生だし、なんかもういろいろ設定無視だし! いやいや、映画に使われたエピソードは、全部ちゃんと原作にもあるんですよ。ほら、リメイク版のほう。 ■ドラゴンボールは同じ作家によってリメイクされている説 おそらく『ドラゴンボール』を読んだ脚チームは、一のつながった物語とは思えなかったはずだ。週刊連載ならではの後付設定、つじつまあわせ、ご都合主義の展開、そして数世代にわたる物語。これは一つのコンテンツをリメイクしているのだ! と誤解したとしても、仕方がないことだ。 なぜこんな

  • 「デトロイト・メタル・シティ」をかなりマジメに観たっす。 - ACID TANK

    「デトロイト・メタル・シティ」鑑賞。ちなみに僕は原作マンガを、ほぼ毎週立ち読みしているくらいには好き。僕はこの映画化を楽しみにしていた反面、不安視もしていた。DMCはギャグ版「ジキルとハイド」であり、ジキルに相当するのが、渋谷系オシャレサブカル。ハイドが、デスメタル。とする対立構造が軸になっている。ここで肝心なのが、原作者は、この二つのカルチャーそれぞれに距離感を持っているということ。そして、その距離感は質的にまったく別物だ。渋谷系には「キモい」アングラデスメタルには「よくわからない」という距離感。つまり、あくまで、デスメタルの描かれ方は渋谷系オシャレ嗜好と対比させるための主人公の裏の顔でしかなく、渋谷系についてはフリッパーズがどうの、カヒミ・カリィがどうの、と細かい記述がよく描かれるが、メタルはというと、「ヘッドバンキング」「悪魔崇拝」などと類型的で表層的なものでしかない。DMCは、お

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