囲い込むつもりはない。独占しようともしない。プレミアが付いた自分を誇示するでもない。お山に登って胸を張り、上から眺めて自己を誇大するでもない。 文章には、魂が込められているべきだ。熱く滾る心が、寂しく翳る心が、燦燦と煌めく心が込められているべきだ。それにつき、構成云々、使う言葉云々は関係無い。たしかに、美しく組み立てられている文章は良い。言葉は正しく使われるべきだ。が、別に「必要」ではない。そこに気持ちがあれば、魂があれば、何だって良い。誤字があろうが、稚拙な表現だろうが、そこに人の体温があればきっと、何だって良いのだ。 自身、こと文章表現においては「質より量」にはまったく同意しない。アウトプット量、書く文章の量を増やせば自ずと質も上がっていくだなんて、夢のまた夢である。「とりあえず書く」なんて、口が裂けても言うんじゃねえよと思っている。もちろん方法の一つとして認められる理由もわかる。まっ