当時の日本は中国大陸での利権の絡みでアメリカなどと対立中でした。世に言う「ABCD包囲網」で経済や貿易を封鎖されていたのです。日本としては石油の備蓄が無くなる前に資源の確保をし様としました、つまりこれは封鎖をしているアメリカにケンカを売ることになるわけです。 で、日本軍人は考えたわけです。「アメリカと戦って勝てるか?」と。 戦争は勝てる算段が無ければ起こしにくいものです(逆に無いと敵から吹っかけられることもあります)。 例えば日露戦争では、兵力差は日本軍20万に対してロシア軍200万以上と段違いの差でした。しかし、トルコやフィンランド、中央アジアの抑えを除くと25~30万程度しか出せない上に、輸送は単線のシベリア鉄道でしかできない。じっとしていてはロシア軍は増える、ならば開戦し、1年で極東のロシア軍を殲滅して遼陽・奉天を占領すれば勝てると判断したために日本は起こしたわけです。 太平洋戦争で
私が大人になって最も後悔したことは、大学を卒業後、多額の借金してしまったことです。あれは私の人生にとって、大きなミスでした。 借金の使い道はというと、いい車を買うためだったのですが、今、その車は手放しました。さらに、家電を買うのにも借金をしましたが、それももう持っていません。レストランで食事をするのに借金をしましたが、どんな食事だったかほとんど覚えていません。本を買うのにも借金をしましたが、ほとんどが手元に残っていません。趣味を追究するのに借金をしましたが、続いているものはありません。 つまり、借金して買ったものはほとんど何も残っていないのです。現代というのは、ライフスタイルの周期が短く、大体のものが数年で消えてなくなります。 どうしてそんなことになってしまったのでしょう? 答えは簡単、現代的な快適な生活をするには、借金をするしかないと思っていたからです。 基本的に、自分が"貧しくない"と
いじめの話題は扱いにくい。 このことは、原稿を書いて読み返す度に、いつも思い知らされる。理由は「いじめ」という単語にやっかいな多義性が宿っているからだと思う。 いじめは、辞書的な意味では、「自分より弱い立場にある者を、肉体的・精神的に苦しめること」(大辞林)ぐらいになる。私たちが「いじめ」という言葉に抱くイメージは、もう少し複雑だ。というよりも、いじめ被害者(またはその経験者)と、いじめ加害者(および傍観者)では、同じ言葉を通して思い浮かべる景色がかなり違っている。 だから、この言葉を痛みを伴った感情とともに思い浮かべる人々と、そうでない人々の間では、話が噛み合わない。 実例を見てみよう。紹介するのは、自民党選出の参議院議員、中川雅治氏の公式ホームページに掲載されていた文章だ。 「掲載されていた」と、過去形を使ったのは、当該のホームページが既に消滅しているからだ。 ホームページの中の「教育
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