eurekaさんから聞いた「オナニーマスター黒沢」でホロッとし、ウルッとした。主人公に直接的に感情移入するということはなかった。出てくる人々の得も知れぬ心の移り行きに琴線が触れたのだと思う。誰かが汚れたり汚されたりするのを見るのは辛い。こういうときに「悪意」というものをはっきり感じることができる。でもそれは正義に反する悪などではない。単なる量の問題だろうか、つまりこの作品に出てくるのはチンケな悪意なのだろうか、悪意は程度があるのか、それらはわからない。ただ悪意には意図がある。無邪気は悪であっても、無邪気な悪意は無いような気がするが、ただの言葉遣いのおはなしか。ところで、正義論あるいは正義にまつわる言説はしばしば悪意を伴って(控えめには悪戯心を伴って)なされ、正義という言葉自体が事毎にはっきりうさんくさいマジックワードのようにとり扱われる。そういった事態に何の感興をも催さない時はとりあえず、
晴天の価値 2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と…
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く