不正が行われたという話を聞くと、フルボッコするこの風潮は、悪意ではなく正義感に支えられている。だからややこしい。叩く彼らは「正しい」のであり、叩かれるアートディレクターは「正しくない」のである。「正しくない」アートディレクターの「正しくない」エンブレムを阻止するために行動することは、「正しい」のである。 しかし、まだ確定しない「盗用発覚!」の記事をシェアし、コメントで「最低の人間」と罵る彼らの方法は、とても正義と言えない。まだ確定もしていない罪を負うべきではないし、罪の大きさ以上の罰を受けることもおかしい。にもかかわらず、行き過ぎた批判をやめられない。やめるべきとも思わない。「犯罪を犯した人間を赦す理由はない」というのだ。(やめるのは、それに「飽きた」ときである。) こうした正義感はもはや別の言葉、たとえば不寛容とか無慈悲(!?)というふうに表現した方がいいだろう。ネット社会を覆っているの