グアム、サイパンをはじめとするマリアナ諸島——今はリゾート地となり、連日多くの日本人観光客が訪れる。 75年前の今日、1944年6月19日に、この島々の沖合で日米の機動部隊が激突した。 マリアナ諸島が奪われれば、日本本土が空襲にさらされることになり、この島々は本土防衛のための最終ラインだったのだ。この決戦に大敗したのち、日本本土は焦土と化すことになる。 惨敗に終わったこのマリアナ沖海戦をからくも生き延びた搭乗員が、戦後50年を経て絞り出すように口にしたのは、日本の将来を背負うはずだった優秀な若者たちをたった2日で3000人以上も戦死させたことへの怒りだった。 わずか10分で味方機が全て撃墜された 「敵戦闘機・グラマンF6Fヘルキャットは、機銃弾が命中してもほとんど火を噴かない。ところが味方機は、ちょうど綿にガソリンをしめらせて火をつけたみたいにバーッと燃えて落ちてゆく。海面には撃墜された味