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    『評伝 ナンシー関 「心に一人のナンシーを」』(横田増生著・朝日新聞出版)より。 【私が「小耳にはさもう」の初期のコラムで、ナンシーの笑いの志向というか、笑いのツボがよく表れていると思うのが、<加勢大周>と<新加勢大周>をめぐる二回の原稿だ。 <加勢大周>という芸名の使用権をめぐって一悶着あった末に、事務所の社長が<新加勢大周>をデビューさせたとき、ナンシーはこう書いている。 「久々の『ちょっといい』事件だ。こんなにずさんでスキだらけな事件も珍しい。だれにも同情する必要のないところもいい。出てくる全員が浅薄系のバカ。(中略)/なんかもう、何やっても『不条理コント』だ。裁判だとか、肖像権がどうだとか、登録商標がどうしたとかいった『きちんとしたもの』をいくらちりばめても無駄である。(中略) もう、全員がバカ状態のこの一件だが、さっき、拝みたくなるほどありがたいネタが飛びこんできた。元祖・加勢大

  • デーモン小暮閣下への質問「あの、へヴィメタって、なんですか?」

    『聞く力』(阿川佐和子著・文春新書)より。 (阿川佐和子さんが、デーモン小暮閣下にインタビューしたときのエピソードです。「ヘヴィメタ」という音楽を「ロックの一種とは認識していたが、どんなロックかチンプンカンプンだった」という阿川さんは、思い切って、「単刀直入にデーモン閣下に直接聞いてみた」そうです) 【こうして(スタッフとの)打ち合わせ通り、私はご人を前にして、できるだけ失礼にならないよう気をつけながら、質問してみました。 「あの、ヘヴィメタって、なんですか」 すると、驚きましたよ。デーモン閣下は親切! しかも説明がお上手! 私のようなロックシロウト相手に、それはわかりやすく教えてくださったのです。 「ハハハ。ロックというのは、わかりますね?」 最初に私に優しく断りを入れてから、こんなふうに話してくださいました。 「ロックがいろいろな枝葉に分かれていく中で、速さと激しさを追求したものをハ

  • 活字中毒R。:『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』が達成した「偉大な記録」

    『超実録裏話 ファミマガ 創刊26年目に明かされる制作秘話集』(山直人著・徳間書店)より。 【『スーパーマリオブラザーズ完全攻略』は前述の通り120万部超えの売り上げを記録し、徳間書店の最大発行部数の記録を塗り替えました。それだけにとどまらず、1985年のベストセラー第1位になったのであります。 この年のベストセラーには二見書房の攻略も第10位に、『ドルアーガの塔のすべてがわかる』が第19位になっており、ゲームが売れているというのを一般に知らしめることになります。このあたりは周知の事実なんですが、実は『スーパーマリオブラザーズ完全攻略』は、翌1986年もベストセラーの第1位になっているんですね。2年連続で同じがベストセラーの第1位になるっていうのは、記録にほとんどないようです。自画自賛ながら、ベストセラーの金字塔と言えるのでは……。ちなみに二見書房の攻略も引き続き3位に入

  • 千原ジュニアを驚かせた「タモリさんのサービス精神と開き直り感」-活字中毒R。

    『うたがいの神様』(千原ジュニア著・幻冬舎)より。 【あとはやっぱり、タモリさんです。誰もが知ってる「あたりまえ」の存在になってますけど、「笑っていいとも!」をギネスに載るくらい何十年も、毎日続けるって、めちゃくちゃすごいことです。もう変態ですよね。生態が変わっているっていう意味で、変態。実際いいともにレギュラーで入ってびっくりしたこともいっぱいあります。オープニングのコーナーが終わったら、CM中に「乗ってるか?」「イェーイ」「昨日セックスしたか?」「イェーイ」というくだりを、年中毎日やってるんです。オンエアもされてないのに、びっくりしましたね。他にもあって。「明日も見てくれるかな」「いいとも!」で番組が終わった後、30分間、後説をレギュラーが残ってスタジオでやる。その時も、「ここでもう一人、ゲストで来てもらってます。福山雅治君です」って言って客席がキャー!ってなる。それで、タモリさんが「

  • 活字中毒R。:志村けん「お客さんが予想した通りのことをやってるだけ」

    『週刊現代Special(8月4日増刊号)』の「各界トップランナー30人が語った、いまこそ胸に刻みたい一流の言葉」より。 【「お客さんが予想した通りのことをやってるだけ。それはお客さんが優位に立つってことだからね。 ……そうするとお客さんは喜ぶわけよ。 でも、誤解されがちだけど、そういうベタな笑いのほうが腕がいるんだよ」 ――志村けん(コメディアン)】 〜〜〜〜〜〜〜 志村けんさんの「笑い」についての言葉。 もちろん、志村さんは自分の笑いが「ベタ」であることを知っているとは思っていたのですが、ここまで戦略的に「お客さんの予想通りのことをやろうとしている」のですね。 そう言われてみれば、僕も、志村さんのコントを観て、「ああ、またこのパターンか!マンネリだなあ」と内心バカにすることもあったのですが、お客さんのそういう反応もまた、志村さんにとっては「計算通り」だったわけです。 「お客さんの予想を

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    『ファミ通』2011年4月21日号のコラム「伊集院光接近につき ゲーム警報発令中」(伊集院光著)より。 【平穏な日々が、大しておもしろくもないと思っていた日常が、突然に揺さぶられ音を立てて崩れていく。言葉もない。自分は東京で、ほとんど被害もないのにビビっている。悲しんでる。怯えてる。もしかしたら、その前からの卑屈や不満や、別段理由もない不安も上乗せして落ち込んでいるのかもしれない。テレビゲームの話など書いている場合なのかとか、バラエティー番組とか撮ってる場合かとか、怖い怖い怖いとか。 2週間ほど経った。少し落ち着いたか。それも、あの瞬間に比べればという程度だが。いろんなことが迫ってるし。節電のために薄暗い部屋でパソコンの前に座って思うことは、サッカーファンにとってこういうときにサッカーなのと同じくらい、ゲームファンにとってこういうときこそゲームなのかもしれないなということだ。大きな天災でも

  • 活字中毒R:日本のメディアにおける一番の長寿番組「ラジオ体操」の歴史

    『まだある。こども歳時記 夏休み編』(初見健一著・大空出版)より。 (「ラジオ体操」の歴史について) 【「ラジオ体操」がはじめて放送されたのは、1928年のこと。放送局は東京中央放送局。言うまでもなく現在のNHKだ。多くの人が、「ラジオ体操」を考案し、主催しているのもNHKだと思っているようだが、実は違う。 考案したのは、逓信省簡易保険局(現在の株式会社かんぽ生命)の課長さんたち。1920年代初頭、アメリカのメトロポリタン生命保険会社が「健康体操」なるものを開発し、ニューヨーク、ワシントンなどでラジオ中継していた。日の「ラジオ体操」は、これを参考にしたものだという。つまり、逓信省簡易保険局が開発・提唱し、NHKが番組として全国に普及させたわけだ。 なぜ逓信省が体操を?と思うかもしれないが、保険業務は被保険者が健康でなければ安定しない。特に肺結核や伝染病で亡くなる人が多かった時代には、生命

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    『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年10月号の「特集・福伸行」より。 (福伸行さんと大槻ケンヂさんの対談記事「『ドル箱』いっぱいの愛を!〜勝ち負けと、その先」の一部です) 【大槻ケンヂ:福さん自身はギャンブルはやるんですか? 福伸行:ほとんどやらないんです。とは言っても、ぼくは釣りとかはやる気がしなくて、やっぱり点数がつくもののほうが好きみたいなんですね。ゴルフも好きですけど、あれも点数がつくじゃないですか(笑)。点数がついて勝ち負けのあるものが好きなんですね。 大槻:その点で、ぼくには勝ち負けっていうのを否定したい気持ちがずーっとあるんですよ。つまり勝ち負けがあるということは負ける可能性があるわけで、「そんなの、いやだよっ!」って思うわけです。だからぼくの人生は「合気道人生」って言っているんですけど、合気道には勝ち負けってないんですね。ところが、『カイジ」とかは体制側が勝つ

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    Twitter』で僕もつぶやいています。 http://twitter.com/fujipon2 『のはなしに』(伊集院光著・宝島社)より。 【せんだみつおさんの名言に「売れてないやつに落ち目はない」というのがある。そう思う。名前を出して悪いが猿岩石を気の毒がる若手芸人にどれだけの栄光が待っているというのだろうか(※単行発売時に2009年、猿岩石の有吉氏再ブレイク中)。 僕は登ってもいない山のデータだけを見て帰り道の疲労を心配し、登るのをやめたり、中腹に住みやすい場所を見つけて住みついたりしてしまう性格だが、登った人を褒め称えることに異論はない。頂上から登れない僕を馬鹿にした人や、息も絶え絶えのくせに自慢する人は嫌いだが。「確かに辛かったけれど、いい景色だったなあ」という言葉を聞くと羨ましい限りだ。 例え話がえらく抽象的になってしまったので最初の話に戻るが、同じ事務所の後輩芸人につぶや

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    Switch』VOL.27 NO.7 JUL.2009(SWITCH PUBLISHING)の「LONG INTERVIEW〜鶴瓶になった男の物語」より。取材・文は川口美保さん。 【実家の裏手に回った鶴瓶の姿を見かけたのか、誰かが声をかけた。 「マーちゃん! 帰って来たんか?」 「姉ちゃん、懐かしいなあ! 元気か?」 鶴瓶の間髪おかない声を聞いて、女は嬉しそうに言った。 「もう偉うなってしまって、口も利かれへんと思ってたわ!」 隣の姉ちゃんだった。一回りは年上だろうその人を前にすると、鶴瓶はすぐ昔に戻った。家族の話、近所の人の話、二人の会話からは次々に懐かしい人の名前が飛び出す。 姉ちゃんが息せき切るように言った。 「マーちゃんのお母さんはべっぴんさんやった。ここに来はったとき二十八か九だったと思うわ。スタイル良くて背も高かった。子供もぼちぼちできていったやろ。私な、子供のとき、あんなお

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    『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2009/7/24号の記事「ふたりのキーマンに聞く!〜『ドラゴンクエスト9』トップ2インタビュー」より。 (『ドラゴンクエスト9』のゲームデザイナー・堀井雄二さんとプロデューサー・市村龍太郎さんへのインタビュー記事の一部です)から。 【――最後になりますが、作を心待ちにしている読者の皆さんにひと言お願いします。 市村龍太郎:『ドラクエ9』はこれ以上なく、DSの限界までたくさん詰め込まれた作品です。容量はもちろん、アイデアとか想いとかも含めて、これだけいろいろなものが詰め込まれている『ドラクエ』はいままでになかったかもしれないですね。まずはいつもどおり、自分なりに遊んでいただいていいと思います。そして、ふと立ち止まったときにまわりを見渡して「ちょっとほかの人ともいっしょにやってみようかな?」って思えるときがきたら、勇気を出してまわりの人たちと遊んでくれる

    tanemurarisa
    tanemurarisa 2009/07/29
    一作目発売から三作目発売までが二年以内っていうのが未だに信じられないなぁ・・・。確かに発表→期待→買ってプレイまでの感覚が丁度いいモチベーションだったのを覚えています。
  • 活字中毒R。:『とどろけ!一番』の「長期連載を実現するための驚愕の裏技」

    『定コロコロ爆伝!! 1977-2009』(渋谷直角編・飛鳥新社)より。 (関係者へのインタビューや当時の資料から、『コロコロコミック』(小学館)の創刊32年の歴史をまとめたから。第3代編集長の平山隆さんとマンガ家・すがやみつる(『ゲームセンターあらし』)、のむらしんぼ(『とどろけ!一番』『つるぴかはげ丸』)両氏による鼎談「『コロコロ』らしさは『あらし』『とどろけ!一番』から生まれた」の一部です) 【平山隆:まず最初に僕が言いたいのは、「ゲームセンターあらし」っていうのは、児童マンガの歴史の中で非常にエポックメイキングな作品だったと思うんです。なぜかというと、それまでのマンガは実際に存在するアクションを描いてるわけ。野球マンガならボールを投げて打つ。ボクシングマンガなら殴って殴られる。でも「ゲームセンターあらし」は、子供たちがゲームをやっているところを描く。実際はコントローラーに向かっ

  • 活字中毒R。

    『オトナファミ』June 2009 No.18(エンターブレイン)の特集記事「ぴっかぴかの小学館・学年誌メモリアル」より。『あさりちゃん』の作者・室山まゆみさんへのインタビュー記事の一部です。ちなみに、「室山まゆみ」は、姉・室山眞弓さんと妹・室山眞理子さんの共同ペンネームなのだそうです。 【インタビュアー:子供の頃から二人で絵を描かれてたんですか? 眞理子:ううん。一人だよね。 眞弓:基的には。 眞理子:漫画を描き始めたのは小学校の高学年の頃でした。今の子供たちと同じようにやっぱり最初はノートと鉛筆で描いてましたね。田舎だから、遊ぶ道具がなかったんです。運動神経鈍いから、あまりほかの子供と一緒に走り回るの好きじゃなかったし。 眞弓:近所に住んでいたのが、男の子ばかりだったんです。 眞理子:いつも一緒にいた女友達2人が、これまた運動神経が鈍いので、4人が各々ごそごそ、ごそごそ絵を描いていま

    tanemurarisa
    tanemurarisa 2009/05/17
    73巻で止まっているだけに、あとでまとめて買ってくるか・・・。
  • 『ブラック・ジャック』が終わった日:活字中毒R。

    『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(福元一義著・集英社新書)より。 (巨匠・手塚治虫の代表作のひとつ『ブラック・ジャック』について。当時手塚先生のチーフ・アシスタントだった著者の回想です) 【昭和48年の10月、『ブラック・ジャック』はひっそりとスタートを切りました。壁村さん(壁村耐三・『週刊少年チャンピオン』編集長)が、当初は全4回ほどの予定で連載を依頼した、というのは有名な話ですが、実はその時、ひと足違いで「週刊少年マガジン」(講談社)からも、新連載の依頼が来ていたのです。これは翌年にスタートする『三つ目がとおる』になるのですが、どちらの依頼も富士見台の仕事場で行われたので、私は両作品の記念すべき誕生の場に居合わせることができたのでした。それにしても、もし講談社の依頼が2〜3日早ければ、『ブラック・ジャック』は「マガジン」に連載されていたかもしれません。 さて、『ブラック・ジャック』の

  • 活字中毒R。

    『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2009/5/1号の記事「『スペースインベーダー』生誕30周年〜空前のヒットを支えた知られざる舞台裏」より。(『スペースインベーダー』の開発者・西角友宏(にしかど・ともひろ)さんへのインタビューから。「」内が西角さんの発言です) 【『スペースインベーダー』が誕生した70年後半のゲーム業界は、アタリ社の隆盛もあり、完全にアメリカ主導のものだった。遅れをとっていた日ゲーム業界は、まさにアメリカに追いつけ追い越せの状況。しかしながら、現在のように開発キットなどの環境が整っているわけではなく、ゲーム開発と言えばアメリカ産の筐体を解析し、似たようなゲームを作るのが精いっぱいの時代だったという。 『スペースインベーダー』を作った西角友宏氏(現ドリームス代表取締役)もそんな混沌としたゲーム業界の中にいた。「真似ばかりの日のメーカーもオリジナル作品を模索していた時

  • 活字中毒R。- 『ノイタミナ』の苦悩と『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』の逆襲

    『創』2009年5月号(創出版)の特集記事「変貌するマンガ市場」の「マンガ原作のアニメ化、実写化をめぐる現状」(中川敦著)より。 (マンガ原作のアニメ化についての各テレビ局の現状を紹介した項の一部です) 【(日テレビの場合) これまで月曜19時台に放送されていた『名探偵コナン』と『ヤッターマン』がゴールデンタイムから撤退。この4月からそれぞれ土曜18時と日曜7時に移行する。これはテレビアニメ全体の苦境を象徴しているように見える。日テレビ編成局映画編成部チーフプロデューサーの中谷敏夫氏はいう。 「コナンとヤッターマンは、日テレビ系列の看板アニメですから、確かにさびしい気はします。ただ、苦しい中でもがいた結果、一つのヒントが見えてきた。昨年、話題となったものに8月に放送された『デスノート』の特別番組があります。深夜で放送していたアニメを再編集プラス新作カットという形で放送したのですが、視

  • 活字中毒R。- 『タクティクスオウガ』の「カオス」から抜けられない女

    『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年4月号の「総特集・RPGの冒険」より。 (特集のなかの「鼎談・われらの道(RPG)はどこにある」の一部です。鼎談の参加者はブルボン小林さん、飯田和敏さん、米光一成さん) 【米光一成:物語とかを提示してみせるのではなく場としての世界を提出すること、つまり、今のゲームが何でもできるようなある種の「世界」を作るっていう方向に行っているのは、やっぱりゲームならではの語り口なのかもね。 ブルボン小林:それで思い出したけど、知り合いのデザイナー……というか、『ユリイカ』の表紙を装丁している名久井さんだけど、彼女が『タクティクスオウガ』を最近また買って遊んでるらしいんだけど、あれってシナリオが「ロウ(law)」「カオス(chaos)」「ニュートラル(neutral)」って大きく三つに分岐していくんだって。名久井さんは以前に「カオス」で解いたことがあって、当時は他

  • 活字中毒R。:「僕は本当に性善説に立って『2ちゃんねる』を作ってきたつもり」

    人 vol.09』(太田出版)の「巻頭ロング手記・ひろゆき〜世界の仕組みを解き明かしたい」より。 (引用部はすべてひろゆきさんの発言です) 【でも僕は、性善説ですよ。性悪説だと思われているのかもしれないんですが、そんなことはないです。 たぶんそれはみんなからあまり納得してもらえない部分かもしれないですね。なぜ納得してもらえないのか、僕の方から見ると不思議でしかたないんですが。 ミクシィが性善説のイメージがあるかもしれないですけど、それは違います。だって招待制にするということは、悪い人が入らないようにしているということでしょう。アカウントを作って個人情報を入力しないと中に入れないというのは、何かその人が問題を起こした時に追跡できるようにしたいからでしょう。 でも2ちゃんねるはアカウントも招待制もない。何をしても自由ですよ。だって人は悪いことなんかしないんだもん。そういう発想で2ちゃんねる

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    『GetNavi(ゲットナビ)』2009年4月号(学習研究社)の特集記事「遊びんの王様〜任天堂の発明史」より。『星のカービィ』『スマッシュブラザーズ』シリーズのディレクター、桜井政博さんへのインタビュー。 【インタビュアー:任天堂の独創的な発明の原動力はどこにあると思いますか? 桜井政博:マリオの続編を作るにしても、基的なシステムごと変えてしまう意地がありますよね。『どうぶつの森』などの例外はありますが、内容が変わらないタイトルは続編を出さない。それくらい、変化を求める姿勢を感じます。 インタビュアー:Wiiで新しいコントローラーが採用されたことは、開発者としてどう思いますか? 桜井:任天堂であるがゆえに、起こるべくして起こった変化だったと思います。個人的には、いっそリモコンにボタン1個だけでもよかったぐらいだと思いますよ。作り手はその上でいろいろと工夫しますから。 インタビュアー:あれ

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    『僕たちの好きなタイムボカンシリーズ(別冊宝島779)』(宝島社)より。 (タツノコプロ草創期から演出家として『タイムボカン』シリーズをはじめとする、数々のアニメ作品を世に送りだしてきた笹川ひろし監督へのインタビューの一部です。文は小林保さん) 【1975年10月、これまでにないSFとコテコテのギャグが融合したアニメ作品『タイムボカン』のテレビ放映がスタートした。後にシリーズ化され、1983年の『イタダキマン』まで7作品が作られることとなる、その礎がここに誕生したわけだ。 しかし、『タイムボカン』が世に出るまでには3年ものお蔵入り期間があった。タイムトラベルをテーマにしたギャグ物というコンセプトがスポンサーに理解されにくかったためだ。 笹川ひろし:別にどこかから依頼されたわけでもなかったんですよ。タイムトラベル物で、しかもギャグ物を作ろうとタツノコプロ内で企画しましてね。タイトルも『タイム