中公新書2009年6月 主としてクラシック音楽について、なんらかの知識をもって聴いたほうがより楽しめるのではないか、音楽に対して受け身でなく何かの楽器を自分で演奏できるようになることが聴き方をも変えるのではないか、ということを述べた本であるように思えたが、著者が根本のところで何を主張したいのかについては今ひとつ判然としないところが残った。 現在クラシック音楽を聴くということは、能や狂言あるいは歌舞伎を鑑賞することどれだけ違うのか、それは最早保護すべき文化財に近いものとなってしまっているのではないかという疑問は、このようなことを論じる場合にまず第一に検討されなければならないことなのではないかと思うが、それが系統だって論じられることはない。しかし著者がそれを意識していないはずはなく、随所にそれはでてくる。一方では、クラシック音楽を聴くことがわれわれの日常の行為として自明のこととされている部分が