県内最高齢の110歳とされる男性が約30年前から住民登録がある長野市の自宅に住んでおらず、所在が分からなくなっている問題で、この家に住む男性の息子(74)が5日午前、取材に応じた。息子は15年ほど前から男性の年金を受給していることを明らかにした。 息子によると、年金は行政関係者に勧められて加入手続きをし、15年ほど前から受給。年3回、13万5000円ずつ男性名義の金融機関の口座に振り込まれているという。この年金は男性の生年月日からみて老齢福祉年金とみられる。息子は男性の通帳、印鑑を使って現金を引き出し、家族の不動産に関する税金の支払いや孫の入学祝いなどに充てたことがあるとし「悪気はなかった」と話している。 日本年金機構長野事務センターは、本人が死亡しているのに受給しているとすれば問題がある−との認識を示した上で、生存している場合、行方不明の場合も含めて「個別事例によるが、本人名義の口座
さっき、最低の話を聞きました。 私の叔父、そろそろ60になる人なんですが、今警備員やってるんですねいや自宅警備員じゃなくて。ほら、スーパーとかの駐車場で車誘導してる人いるでしょう? あれやってるんですよ。 で、この間お客からクレームが入って配置転換されたらしくて。その理由がすごいんですよ。 「日陰でちょっとしゃがんでいたから」 叔父さん曰く、ちょっと物を取っていただけだけで休んでいたわけでさえ無いらしいんですが、兎に角クレームがあったらすぐに配置換えされるんだそうです。 聞く所によると、そのお仕事は休憩もないんだとか。制服姿で休んでいると見苦しいとクレームが入るとかで。 ハッキリ言います。 人が休んでるのが、そんなに妬ましいか。 本日の最高気温は37度。炎天下舗装道路の近くに立っているのは焼き土下座大変だ、なんて想像力の問題以前ですよね? 木陰に入るな。しゃがむな。休むな。だらしなくするな
福祉を増やすことに対して多くの人が肯定的だ。そして大抵の人にとって競争と言うのはつらいものだ。よって国家と言うものには常に福祉を肥大化させようとするバイアスがあり、またそうした国家で既得権を握った者たちは常に新規参入者を排除し競争をなくそうとする。こうした人達は社会の問題の多く―例えば貧困や凶悪犯罪など―を福祉が十分でないこと、また「行き過ぎた」競争に結びつけようとする。しかし筆者は福祉国家と言うのは非常に危険な幻想、あるいは妄想だと思っている。行き過ぎた福祉国家と言うのは必ず滅びるものだ。今日はそのことを示唆するためにいくつかの簡単な実験をしようと思う。実験と言ってもフラスコの中で化学反応を起こしたり、コンピュータで複雑な数値実験をするわけではない。簡単な思考実験。つまりいくつかのシチュエーションを思い描き、その結果どうなるか想像してみようと言うことだ。 その1 みんな平等の会社と実力主
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