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砂山から砂粒を取り去っても依然として砂山のままだが、それから何度も取り続けて最終的に一粒だけが残った時に、その一粒だけを指して「これは砂山である」と言えるのか。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年8月) 砂山のパラドックス(すなやまのパラドックス、英: paradox of the heap)は、述語の曖昧性から生じるパラドックスである。古典ギリシア語で"heap"を意味する「ソリテス」(σωρίτης、sōritēs)にちなんで[注釈 1]、ソリテス・パラドックス、ソライティーズ・パラドックス(英: sorites paradox)とも呼ばれる。 定義や境界値が明確でなく曖昧な概念をどう扱うかという問題であり、主に論理学の哲学・言語
起こりうる事態について描かれた漫画 バター猫のパラドックス(バターねこのパラドックス)は、2つの言い伝えを皮肉った組み合わせに基づいた逆説である。 猫は常に足を下にして着地する(参照:ネコひねり問題) バターを塗ったトーストは常にバターを塗った面を下にして着地する(参照:選択的重力の法則) もしバターを塗ったトーストを(バターを塗った面を上にして)猫の背中へくくり付けて、ある高さから猫を落としたらどうなるかを考えた場合、この逆説が発生する。 もし実際に猫を落とすならば、2つの最終結果のうちのどちらか一方は決して起こらないことになる。もし猫が足を下にして着地すれば、トーストはバターが塗られた面が上になったままだし、逆にバターが塗られた面が下になって着地するならば、猫は背中から着地することになるはずだ。 この逆説は言い伝えを皮肉った組み合わせが起源であるが、この2つの規則が常に正しいと仮定した
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