日本語/English 1923年9月2日の夜。19歳の演劇青年、伊藤国夫は興奮していた。軍が多摩川沿いに展開し、神奈川県方面から北上してきた「不逞鮮人」集団を迎え撃って激突しているという噂を耳にしたからだ。戦場は遠からずこの千駄ヶ谷まで拡大してくるに違いない。彼は二階の長持の底から先祖伝来の小刀を持ち出し、いつでも使えるように便所の小窓の下に隠しておいて、向かいの少年とともに家の前で杖を握って「警備」についた。 だが、いつまでたっても何も始まらない。業を煮やした彼は、千駄ヶ谷駅近くの線路の土手に登って「敵情視察」を試みる。すると闇のなか、後ろの方から「鮮人だ、鮮人だ!」という叫び声が聞こえるではないか。さらに、こちらに向かっていくつもの提灯が近づいてくるのが見える。朝鮮人を追っているのだ。よし、はさみ撃ちにしてやろう。伊藤は提灯の方向にまっしぐらに走り出した。 (以下、引用) そっちへ走