2021年5月6日のブックマーク (4件)

  • 怪傑!ド・エリート男爵!:懐かしの道路標識 「 白看板 」 &旧国道447号線へ総員突撃セヨ!

    2015年06月04日 懐かしの道路標識 「 白看板 」 &旧国道447号線へ総員突撃セヨ! 我こそは、ド・エリート男爵なり! 天才頭脳集団ネオアイラの副総統であります! 前回 【 旧国道221号線(後編)加久藤峠・堀切峠でボランティア清掃作業? 】 の続き! 12式陸上複座戦闘機(スーパーカブ110 JA10 )搭乗し、隣県熊に上等兵(長男)と侵攻した我が小隊は、2015年2月の月一野営作戦を完遂! 帰路で国道221号線の旧道部分への突入を開始し、昭和25に制定され46年に廃止となった旧式道路案内標識(通称、白看板)が多数現存している道路マニアの聖地?で朝! そして交通の難所 「 加久藤峠(堀切峠) 」 にてボランティア清掃活動(笑)を実施! 古い缶や瓶の回収に成功した我が小隊は・・・ えびの市街地へ向け、国道221号線の旧道部分より離脱! そして我が小隊は、鹿児島県道・宮崎県道10

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    taro-imo 2021/05/06
  • 「国道218号旧道 津花峠と熊本宮崎県境」どらたま工房のブログ | どらたまのページ - みんカラ

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    taro-imo 2021/05/06
  • 今なお残るレア案内標識「シロカン」の謎

    一般道路には、行き先や距離、道路名や道路番号などを示す「大きな青い案内標識」が掲げられています。ドライバーにとって行き先を知るとても重要な標識です。標識ファンの間ではこれを「青看板」「アオカン(青看)」などと親しみを込めて呼んでいます。 道路に掲げられる大きな青い案内標識。こちらは「方面、方向及び道路の通称名の予告(108-3)」 この一般道の案内標識、かつて青地ではなく白地の「シロカン」だった時代もあるのをご存じでしょうか。 2020年現在、普段見る青地の案内標識(青看板)は全国で統一された標識として5代目にあたります。初めて統一された道路標識ができたのは1922(大正11)年、次いで2代目が1942(昭和17)年に制定されました。当時は自動車も少なく、案内標識は1種類しかなかったそうです。 種類を大幅に増やして1950(昭和25)年に登場した3代目の案内標識は「白地に赤い矢印」のもので

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    taro-imo 2021/05/06
  • 101「北川村」/102「宮崎県」 - 白看採集帳

    20100606/20140812大分県佐伯市にて撮影 ◯白看の種類:101「北川村」/102「宮崎県」(複柱式) ◯設置されている道路:国道10号旧道 ◯概要:国道10号は北九州市小倉北区から鹿児島市までを結ぶ、言わずと知れた東九州の大動脈である。福岡、大分、宮崎、鹿児島を通るこの路線の最大の難所とも言えるのが大分県佐伯市と宮崎県延岡市の県境・宗太郎峠である。国道10号線に並行する日豊線はこの区間(市棚-重岡)が最後に完成(1923(大正12)年12月)、道路はようやく1959(昭和34)年4月に「佐伯国道宗太郎峠改良工事」として一次改築に着手、県境付近の区間は1963(昭和38)年に着工、事業費約20億円をもって1966(昭和41)年度末までには舗装工事まで完了した。この白看は宗太郎峠の旧道の県境に残るもので、写真のとおり周囲はすっかり廃道である。 なお、平成の大合併前は大分側が南海

    101「北川村」/102「宮崎県」 - 白看採集帳
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    taro-imo 2021/05/06