作家で日本を代表するカヌーイスト、野田知佑(のだ・ともすけ)さんが2022年3月27日に84歳で亡くなった。熊本県出身、早稲田大学第一文学部卒。アウトドアやカヌー関連の著作も多数あり、国内アウトドア界の草分…
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作家でカヌーイストの野田知佑さんが2022年3月27日、84歳で亡くなった。アウトドア情報誌「BE-PAL」元編集長で高知市に住む黒笹慈幾(やすし)さん(71)は、およそ40年来の親交があった。「永遠の少年」だったという野田さんとの思い出を語ってもらった。 「放浪の人」日和佐へ ―どんなふうに出会ったんですか。 「『BE-PAL』に配属されたばかりの新人の頃だったと思う。夢枕獏さんに呼び出されて、椎名町駅(東京都豊島区)の近くにあるすし店に行ったら、そこに野田さんがいたんだよね。椎名誠さんも一緒だったような…ちょっとそれは記憶があやふやだけど。そのころに野田さんが『日本の川を旅する』(新潮文庫ほか)で日本ノンフィクション賞新人賞を受賞したんだよね。そのこともあって編集長が『BE-PAL』での連載を決めたんだ。当時、野田さんは中野に住んでいて、なんだか居心地悪いって感じで暮らしていたなあ。そ
月刊誌「BE-PAL」誌上にて〈こぎおろしエッセイ「のんびり行こうぜ」〉を連載中の野田知佑氏が、2022年3月27日、お亡くなりになりました。 野田知佑が2022年3月27日、永眠いたしました。84歳でした。 なお、葬儀は、新型コロナウイルス感染症の状況を鑑み、親族のみで執り行いました。 これまでご愛読、応援いただいた読者の皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝申し上げます。 野田事務所 野田知佑氏には「BE-PAL」の創刊直後より38年にわたり、雑誌の看板となる紀行エッセイ「のんびり行こうぜ」を連載していただきました。 日本のカヌーイストの第一人者として野田氏は数多くの著書を執筆し、カヌーや川遊びを世に広め、環境問題に一石を投じ、日本のアウトドア業界を牽引されました。 生前のご功績に対する心からの敬意、感謝とともに、編集部一同、謹んで哀悼の意を表します。 小学館 BE-PAL編集
野田 知佑(のだ ともすけ、1938年1月2日 - 2022年3月27日)は、日本のカヌーイスト、作家。カヌーイストの第一人者として知られる[3]。 経歴・人物[編集] 熊本県玉名郡江田村(※のちの菊水町→現在の和水町)出身。早稲田大学第一文学部英文学科卒業[1]。日本のリバーカヤックツーリングの先駆者で、日本を始めヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地の川をカヌーで旅する。雑誌の記者を経て作家となり、川・カヌー・環境問題に関する著書を多数発表。長良川や吉野川河口堰反対運動にも参加している。1982年に『日本の川を旅する』で第9回日本ノンフィクション賞・新人賞を受賞、1998年に毎日スポーツ人賞文化賞を受賞[1]。雑誌『BE-PAL (ビーパル)』やモンベルの機関紙に多く寄稿している。 千葉県、長野県、鹿児島県等、居を移した後、2000年に徳島県美波町に移住。
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