憂歌団、上田正樹とサウス・トゥ・サウス――。日本の有名なブルースバンドやミュージシャンは関西出身者が目立つ。ブルースを積極的に取り上げるライブハウスや音楽フェスも関西に多いようだ。米国の黒人音楽がこの地に根付いたのはなぜだろうか。音楽関係者に尋ねて回ると「京都の学生文化」「主流派への対抗心」といった背景が見えてきた。5月中旬、大阪府茨木市の音楽バー「時代屋」。憂歌団のボーカル、木村充揮さん(6
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阪急百貨店、子供の頃は大好きでした。5階の本屋で購入した1976年ゴルフ年鑑は、食い入るように読み大切に持っていました。同じく5階のレコード屋さんで買った「アランドロン映画音楽全集」は、今も持っています。本もレコードも、他店とは違う品揃えでした。 百貨店というだけあり、自分の住んでいる町では買えない、ガリ版・鉄筆・謄写機・ロウ原紙など一式を、小学校5年の時に購入したのは忘れられません。 以上は小学校高学年以降の記憶ですが、学校に行く以前の記憶になると、8階にあった阪急百貨店の開業時の面影を残す、レトロな雰囲気の大食堂です。銀色の食器にナイフとフォークは、印象深く記憶しています。名物はカレーだったそうですが、僕は「オムライス」を食べました。 でも、僕が行ったのは1度だけで、百貨店で買い物をした後、最寄りの駅前の安い食堂で食事をするのがたまの贅沢でした。ジュースは、家の近所で買う倍以上の値段だ
関西大手私鉄の多くは「キタ(梅田)」か「ミナミ(難波)」の繁華街にターミナルを設けていますが、京阪電鉄はどちらにも乗り入れていません。しかし、かつては梅田への乗り入れ計画があり、その痕跡が意外な場所に残っています。 現在の京阪線から1km以上離れた場所 大阪市の中心部を一周する、JR西日本の大阪環状線。その桜ノ宮~京橋間に「京阪電鉄乗越橋」があります。 拡大画像 梅田にも難波にも乗り入れていない京阪電鉄だが、かつては梅田に乗り入れる計画があった(2017年5月、恵 知仁撮影)。 しかし、京阪電鉄の線路はここから約1.3kmも離れたところにあります。過去に京阪電鉄が運営していた廃止路線が、ここをくぐっていたという事実もありません。にもかかわらず、なぜJR線の橋りょうが「京阪電鉄」を名乗っているのでしょうか。 京阪電鉄はかつて、「キタ」こと大阪の梅田に乗り入れようとしていたことがありました。こ
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