2011年10月21日のブックマーク (2件)

  • 息子さんを見ていて、「非を認める」や「謝る」ということについて考えさせられたこと。: 不倒城

    昨夜からの顛末をちょっとメモしておく。 ・息子さん(4歳)、奥様が作業をしている後ろで、奥様のハサミで奥様の髪をちょっと切ってしまう ・その夜、私が息子さんに諮問するが、息子さん「きってないよ?」と嘘をつく →この時は、状況証拠しかなかった為、私が「じゃあ信じる」といって終了 ・翌朝、奥様が「ママの髪切った人、はーい!」と誘導尋問をしたら、勢いで「あい!」と手を挙げてしまう ・「パパに嘘ついたこと謝らなきゃでしょー?」と奥様に言われて、散々逡巡した後私に謝る こんな感じでした。 幾つか考えたこと。 ・子供に限らず、「自分の非を認めて、謝る」ということは物凄いエネルギーを必要とするんだなあ、ということ ・いたずらをするのは子供の仕事なので全くかまわないが、悪いことをした時はきちんと反省して謝らなくてはいけない、ということを、今後息子さんにどう教えていくかなあ、ということ ・けれど、口先だけで

    tatsujik
    tatsujik 2011/10/21
    自分の年端も行かない子供を息子さんなどとと呼んでいる時点ですでにおかしい。
  • Chikirinの正体 | quipped

    最近、友人Chikirinの日記を紹介してくれた。日で有数のアルファブロガーだ。かなりの高ペースで良質な記事を書いている人で、鋭い洞察力には舌を巻く。まだ読んだことのない人たちは、是非購読するといい。正味な話、新聞の社説なんかよりも考えさせられる記事が多い。 書く記事もすごいのだが、それよりもぼくが感心したのは、この人のセルフブランディングだ。自称「おちゃらけ社会派」なのだが、実際はおちゃらけてもいなければ社会派でもないのだ。2009年の上杉隆との対談で、彼女はこう述べている。 日ではマーケットに評価されることの大切さを、理解していない人が多い。なので会社や業界の中で評価されることを気にしているけれど、マーケット……つまり部外者には「どうせオレのことなんか評価できないだろう」といった考えを持っていますね。しかし大切なのはマーケットに評価されることによって、「1人前」と呼ばれることだと

    tatsujik
    tatsujik 2011/10/21
    「オバタリアン」だけが頭の中でハウリングしている。