舌鋒鋭い辛口評論家。多くの日本人は彼のことをそう認識している。 しかし、日本にサッカー文化を植え付けたのはいったい誰だったのか? もう一度考えてみて欲しい。セルジオ越後65歳。孤高の伝道師のルーツを辿った。 サッカージャーナリストの草分け的存在として知られる賀川浩は、そのプレーを克明に記憶している。 1974年の日本サッカーリーグ(JSL)第4節、ヤンマーと藤和不動産の一戦が大阪・長居競技場で行なわれた。当時のJSLには日系ブラジル人選手を招いて戦力補強するチームが増えていたが、藤和の8番をつけたセルジオ越後も地球の裏側からやってきた助っ人プレイヤーの1人だった。 賀川は来日当初からそのスピードと卓越した技術に注目していたが、この日瞼に焼き付いたのは派手な足技ではなかった。 逆サイドへ長いパスを正確に蹴り出す。広い視野と精密機械のようなコントロールで試合の流れに変化をつけたかと思うと、ペナ
![<ノンフィクション> セルジオ越後 「ニッポンを叱り続けた男の人生」(城島充)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/254ebe5cb45e512433c40741f42f4c060816837c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Ff%2F1%2F-%2Fimg_f19f7cf9b8c24c6340a52ce3189ccda2190833.jpg)